奥秩父

 

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1960年4月

 

参加者      島田富夫   平塚 尚    藤原 肇    伊東 毅

4月1日

新宿発(7:08)=立川(7:48~7:57)=氷川(9:15~9:20)=鴨沢(10:20)~堂所(12:25~12:30)~七ッ石小屋(13:25~14:40)~ブナ坂(15:10~15:15)~山荘分岐(16:00)~雲取山荘(16:40)

 

 朝5時半に起きる。30分寝過ごしたので朝飯抜きで飛び出した。昨夜から雨が降り続いている。新宿駅に行くと島田がいた。その後2組の近藤が見送りに来た。続いて藤原が来たが平塚が来ない。とうとう予定した汽車が出てしまった。電話をかけると「かけといた目覚ましがならなかった、今出かけるところだ」なんて、しまらない話。仕方なく電車に乗って青梅線の中で駅弁を食べる。

 氷川からバス、臨発が出る。釣り人が多い。途中1回歩かされたがザックが重いので辛かった。鴨沢で下りて歩き出したが依然として雨が降っている。たいした坂ではないのだがザックが重く苦しいのなんのって、雲取まで行けるのかどうか、七ッ石に泊っちゃおうかなんて具合だ。30分おきに休む、七ッ石の前、小屋まで7分の道標のあとが最高に苦しかった。七ッ石小屋で昼食、小さな子どもがいて親切なおじさんがいた。

 七ッ石のピークは捲いて石尾根と合する。ブナ坂という道標が立っているがガスが濃くて、どこを歩いているのかよく分らない。何とか言う新しい小屋があって、そこから少し行ったところから、雲取を捲いて雲取小屋に向かう。相当雪が残っている。雪が降ってもいる。5時ごろようやく小屋に入る。やっと着いたという感じ。

 すぐ食事の用意、メニューはシチュー、霧積の経験から飯は水を多くした。飯を食べてから食器洗い、水場の足場が凍っていて滑る。手が冷たい、洗うそばから食器についた水が凍りついた。その後少し暖まってから布団を敷く。敷布団4枚掛け布団8枚、明日が早いから早々に寝についたが、なかなか寝つかれない。平塚も同様、腰、肩、股関節と痛いところだらけだ。

 

4月2日

起床(5:00) 山荘発(7:10)~雲取山(7:35~7:50)~三条ダルミ(8:05)~小休(8:30~8:55)~北天ノタル(10:10)~飛龍神社(10:45~11:05)~大ダル昼食(11:30~12:40)~将監峠(13:50~14:15)~一ノ瀬分岐(16:15~16:20)~笠取小屋(17:05)

 

 5時10分前に起きる。飯を炊き、味噌汁を作り朝食。あわただしくすまして食器洗い、またまた冷たい。パッキングして7時過ぎ小屋を出て雲取に向かう。ゆっくりしたペース、道が凍り付いていて島田は再三滑っていた。一汗かいて山頂に立つ。道標など色んなものが立ちすぎ、それに人も多い。昨日の雨もあがっていい天気になった。飛龍、和名倉、三峰、両神、三頭、七ッ石、それに南アが見えるが、そのうちガスが出てきた。写真を撮って出発、三条ダルミに向かって急降下、ところどころ凍っていてよく滑る。島田がきれいにすっころんだ、完全に宙に浮いてしまった。

 三条ダルミでちょっと立てる。甲州雲取小屋跡と三条の湯への道があった。しばらく稜線を歩く、霧氷がすごくきれいだ。ちょっとしたピークを捲いて明るい鞍部に出る、狼平とか言うらしい。ここで一発立て、島田が雲取の下りで転んだ時、手にとげを刺したのでここで治療した。藤原のジュースをもらう、割とうまい。この辺霧氷がことにきれいで写真に収める。ここから少し登り始め、三ッ山あたり山腹をうねうねと捲いていく。雲取への眺めがいいところだ。このあたりで野キジ、今日はとても調子がよく、疲れを感じない。

 似たような道を歩いて北天のタル、あまり休まず、さらに飛龍に向かう。山腹を捲いて飛龍神社。北へ向かう下りは道が凍りついていて要注意だが、それでも再三転んだ。このあたりもう一つの4人パーティーと抜きつ抜かれつ、休むたびに抜かれたり、抜き返したりとなる。大ダルで昼食、島田の固形燃料でスープを沸かす、少々薄めだが美味い。

 昼食後も同じような林道が続き、時々沢に出合う。4人組を抜いて将監峠、明るい峠の下に小屋が見える。ここで休んでまたキジ打ち、みかんの缶詰を食べる。このあたりは午王院平と言うらしい。ちょっと登ってそのまま平坦な道、いよいよ林道らしくなる。原生林の中うねうねと道が続く。平塚がばててピッチが遅れだす。雪が降りだしてくる、相当たくさん降ってきた。あと35分の道標から1時間近くたっても小屋が見えない。あたりは暗くなって、なんだか心細くなる。

 5時過ぎやっと笠取小屋に着いた。雲取とは比べものにならないくらい小さい小屋だが気のいい小屋番のおじさんがいた。雪がしんしんと降る中、夕飯の支度に水場に行く。この時すでに氷点下6度、おじさんの話では氷点下15度までは下がるだろうと言う。甲武信から来たという人、これから甲武信に行く人などの中で、こちらはキャラシューでシュラフもなしとて少々肩身が狭い思い。夕食は炊き込みご飯、飯が早く出来すぎて野菜が生、ニンジンなどガリガリだったが、生で食うやつもいるんだからとそのまま食べた。

 寒くて食器を洗う気もしないので。そのまま、毛布5枚借りて自分達のを1枚ずつ出して、あるもの全部着こんでザックに足をつっこんで寝る。つめて敷いたのできつい、島田が上に乗ってきて重くて痛い、それに足の小指が妙に痛いが動くことも出来ないのでそのまま我慢して寝てしまった。

 

4月3日

起床(5:10) 小屋発(8:00)~雁峠(8:30~8:45)~広瀬(12:30~13:40)~天科(15:00~15:50)=塩山(17:05~18:02)=新宿(21:05)

 

 3時ごろ1回目が醒めた。もう起き出している人がいる、縦走の人たちだろう。こちらは5時起床、平塚が寒かったと言っていた。飯を作るのがおっくうなのでパンにする。ところで今日どこへ行くかで迷う。大菩薩までは行けそうもないし、と言ってこのまま帰るのは面白くないので川浦か徳和で泊ろうかと思ったが、結局帰ることにする。島田がキジを打った時昨日のニンジンがそのまま出てきたと言っていた。

 まず雁峠に向かう、ちょっと道を間違えて武州側に出てしまったが、そのまま峠に着いた。ここで一発立てる、雪の原に道標が立っている。しばらく行って甲州側に急降下、沢に沿って下りる。途中で滑ってひっくり返ったときに手のひらに太いとげを刺してしまった。針でとげを抜くと、赤黒い血がどくっと出る。ちり紙で押さえて河原まで下りて手当てをした。その先しばらく行くと今度は藤原が滑って前に痛めた足をまたやってしまった。

 一休みしたが藤原は普通に歩けなくなってしまった。ゆっくりしたペースで歩き出すが普通の3倍近くかかる。これではもう1泊しなければならないかと思われたほど、そのうち雪も降りだしてきて、こりゃあ遭難だよ、などと冗談も出る始末。ゆっくり歩いていると却って疲れるようだ、足のかかとが痛くなるし、肩は痛いし、どうもいけない。

 それでもようやく広瀬に着いて、通りかかった子どもが家で休んでいいと言うのでやっかいになる。囲炉裏を囲んで暖まる。親切な家でお茶やお茶請けを出してくれる。こちらもクラッカーなどを出して分ける。ちょうどお昼だったのでパンを出して食べた。この暖かい人たちとの出会いはまったく思いがけないことで、本当に嬉しかった。この山行の有終の美を飾るにふさわしい。鈴木さんという家で、帰り際に記念撮影して広瀬を後にした。

 広瀬から天科までトラック道、笛吹川の左岸を行く。天科からバス、15時50分発、塩山に着いたのが遅れて列車を1本逃した。汽車は混んでいて最初1人ずつしか座れなかったが、そのうち4人、一つのボックスに座れたので新宿まで話がはずみ、笑い通しだった。この山行で山靴とシュラフが欲しくなった。山らしい山だった、重い荷を背負う練習が必要だ、今回は5貫ほどだったろうか。

 

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