春 蓼科生活

蓼科 春

 

1962年3月23日~4月3日

 

参加者    伊東 毅

 

3月23日、24日

新宿発(23:45)=茅野(5:48~6:35)=白樺湖池の平(7:50)~桐陰寮(8:50)

 

 高校を卒業して入学までの長い休み、一人で蓼科生活。雨の中を新宿へ、2尺2寸のザックに入りきらないで段ボール箱を一つ重ねる。肩にこたえるが、いずれこのぐらいは背負えなきゃならないと思って我慢。明日が土曜なので割と混んでいた。眠らなくてもいい旅だが少し眠った。小淵沢で八ッが見えていたが、茅野では雲に隠れてしまった。茅野でそばを食い、野菜を仕入れる積りだったが、寒い中、店が開くのを待つのは嫌だったので、バスに乗ってしまった。

 バスは樽ヶ沢まで行くはずだったが、池の平でストップ、予定が狂った。でこぼこ道をのそのそ歩いて、途中一回休んで1時間で寮に着いた。途中で守さんに会った。彼岸の墓参に行く途中だそうだ。寮には67回の宮本さんと大学の友人3人ばかりが、入っていたが、昼近くなって帰ったので、そのあとは1人だけになった。

 昼食後、赤沼の方に散策に行く。境川に出て、おつとめ岩に取り付いてみたが、全然歯が立たない。境川をちょっと登った右岸の高いところに、大きな岩を発見した。高さ10mくらい、横幅もある。正面は傾斜があるのだが、取り付きが垂直でホールドがなく、上がれない。全体に逆層で角が少ない。フィンガーホールドで頑張ったが、腕力が続かず断念。正面のフェースだけでも相当広く、その右にはクラックのある90度くらいの凹んだ壁がある。登れそうだったが、ここも結局失敗。その右はオーバーハングが続き、末端はチョックストーンが2つ挟まった岩溝、チムニーというほど広くはないが、ここは簡単、結局登れたのはこのルートだけだった。これだけのルートがとれるだけ大きいし、難しいので当分楽しめそうだ。ザイルでジッヘルしてもらえば、面白い登攀が出来そうだ。

 また河原に下りて境川をそのままつめる。しばらく行くと水が消え、周囲が開けてくる。周りは木が疎らで平らな草原になってきて、沢はその中を水路のように、そこだけえぐりとって続いている。雪がだんだん激しくなって、茫々たる原に横なぐりに吹きつける。この水路のほとりを歩いて赤沼に出た。原は広く、こんなところがあったのかと不思議な気持ちだった。赤沼は凍っていて真ん中を歩くことが出来る。縦に歩いて反対側に出て、トラックのあとを歩いてコルに出ると、風の向こうにねずみ色の空が見えた、。宇山と八重原のせんぎが見える。いつか、あそこまで行ってみたい。

地図の三角点に行ってみようと、左側の尾根に入る。だだっ広い尾根、笹に積もった雪が膝にあたって冷たい。うさぎかりすか、一匹飛び出して、また音をたてて笹の中へ飛び込んで行った。少しずつ登りになって、前方に高みが見えるが、笹の背丈が高くなってきた。高みに登ってみたが、その先もずっと高い笹が続いている。ここまでで、ずいぶん膝を冷やしてしまったし、ファイト喪失。退却はつまらないので左に逃げる。ざあざあ笹を分けて左へ左へ、こんなところで足でも怪我したらまずいな、なんて考えながら、しばらく行くと防火帯に出た。そこからまた林を抜けて、さっき通った草原にでた。少し水路に沿って下り、途中で左に歩いて六仙道に出た。雪のためにぬかった六仙道を歩いて、門柱を来てから初めて通る。

寮に戻って日記をつけていて、少し眠ってしまった。こたつはぬくぬくと暖かい。晩飯は守さんのところで刺身をいただく。今日は全くのひとり、日記をつけたり、一人でトランプをしたり、少々さみしい。シュラフで眠ったが、2時ごろ起きて、こたつと毛布に転向した。

 

3月25日

起床(6:00) 寮発(8:40)~幻平(9:30~9:35)~九合目小休~蓼科山頂(13:10~13:30)~

水出(14:15~14:30)~帰寮(15:20)

 

 快晴、炊事場の守さんのところで朝食、昼飯のおにぎりも作ってもらう。俊次君の採ってきたふきのとうの味噌和えがおいしかった。サブを背負って、ピッケル持って出発。蓼科山とはいえ雪山だから、単独というのがちょっと弱いところ。でも何度も登って慣れた山だし、装備も一人前だから、まあいいだろう。門柱から桐陰平に入り、山頂への最短コース、幻平に向かう。去年の10月以来二度目、雪の幻はどんなだろう。苔沢の本名は唐沢と言うらしい。沢底と左岸に雪、時々ボソッと足がもぐる。前回より早く沢床を離れ、右岸の斜面を行く。牧柵を過ぎ、去年より10分ほど早く幻に出る。幻の原は、葉が落ちつくしたカラマツと雪で色彩のない、白黒の版画のような世界。空の色は青く、陽は照り輝いていたが、あまり明るい印象ではなかった。

今回の目的は蓼科山、ここでゆっくりしているわけにはいかない。焼野に上がるにはこの前より、もっと手前から左に入った方がいい。踏み跡みたいなものもあるし、やぶもなくて歩きやすい。その代わり、幻の奥の白樺林と奥庭と沢の苔と、シャクナゲとダケカンバは見られない。この斜面はつつじだ。焼野は雪が大部分、ウサギやキツネのトレイルがある。何も通っていない雪の上を歩くのはいい気持ちだ。水出には下りず、鳥居で右に曲がる。ここでゴーグルを出した。少し行くと雪が深くなって足がもぐるようになったのでワッパをつけた。馬返しまでは誰も歩いた跡がなかったが迷わず行けた。

馬返しで番所の方から登ったらしい足跡が現れる。相当古いが、その跡を追う。途中で沢というかガレに出て、足跡はガレの縁を通ったり、中に下りたりしている。風や日が当たるので、雪は堅く歩きよいが、足跡がはっきりしなくなる。慣れた道、油断したのがいけなかった。ガレの真ん中を登り続けるが、ワカンの爪が効いて快適だった。斜面が急になったところで、ストップの練習なんかもやってみた。そんな風で楽しく、どんどん登って行ったが、踏み跡がまるっきり見えなくなったことに気がついた。変だなと思い始めたのは、ストップ練習したところから、少し上がったところ、あるのはウサギの足跡ばかり、ガレの中を歩いたのなら消えていても不思議はないが、全然ないってのも妙だ。しかし、どこでなくなったのか、はっきりしない。右側の林の中を見通してみたが、踏み跡らしきものは見えない。その向こうにガレらしい白い斜面が見えるが、どうもよく分からない。記憶に誤りがあったことも災いした。天狗のガレであることは分かっていたが、道がガレに出るのが上の方だったか、末端だったか、どうも、もっと上だったような気がした。

五分五分の気持ちだったが、もっと登ってみることにした。しかし、登りだすとやはり間違っているという考えが心を占めてきた。それに、やっぱり、本当に間違っていた。こんな傾斜の急なガレを通った覚えはない。大体、夏には女子も登る、ここは危なくて登れない、落石の危険だってあるだろう。ますます急になる、これはいけない、やっぱり間違いだ。戻るのはしゃくだから、見当つけて右の樹林帯に飛び込む。このまま、右に捲いて行けば、必ず道に出るはずだ。しかし、樹林帯の雪はやわらかく、膝から腿までもぐったりする。少し下り加減で進むが、なかなか出ない。そのうち、前方が明るくなって、背の低い木としゃくなげの林に出てしまった。このしゃくなげは難物だ、木が入り組んでいて、通り抜けにくい。時間は刻刻過ぎる、どうしても山に登らずば、と思うと少々焦る。しかし、陽がふりそそいでいてくれるのが心強い。やっとの思いでしゃくなげを通り抜け、ついに踏み跡を発見した。飛び上がる思い、もう大丈夫だ、嬉しかった。もっと注意深くなければいかん、一人だと注意力は自分ひとりの分だけしかないから、見落としやすいのかも知れない。

天狗は過ぎていた。少し登ると右手が開けて、ガレに出た。天狗ではない、その上の小さなガレだ。山頂が見える、空が青い。時間のロスをここを登ることで取り戻せないか、そう思って、面倒くさいトレイル追跡を捨てて、その雪の斜面に踏み出す。日光と風でクラストして歩きよい。ガレという感じとは違う、ゴーロだろう、コツというのはこんなところかも知れない。でも、このまま頂上へ直登する勇気は、さっき道を間違えたこともあり、自信がゆらいで、なくなってしまった。左へ寄って、将軍からの道に出よう。そう思って左寄りにルートをとる。日光は強く、照り返しとで暑いくらい。

九合目のちょっと下で登山道に出た。頂上間近で、ホッとして一息入れる。休みなしで来たが、あまり疲れていない。少し腹が空いた、昼を回っているのだから無理もない。12時登頂予定が大分狂った。最後の登りはなかなか良かった。木もなくなって雪ばかり、30度以上だろうか、ピッケルのシャフトを雪に突き刺して、一歩一歩登る。上方には雪のドームと青い空、風が強く、雪煙が舞っている。夏の蓼科山には考えられない爽快さ。ワカンの爪をしっかり立てないと滑ってしまう。積雪はピッケルのシャフトが完全に埋まってしまう、1m近いということ。

山頂に出ると風が強い、八ツはよく見えるが、あまり展望を楽しんでいられない。飯を食うために山頂小屋に入る。おにぎりはおいしかった。小屋の中は雪が吹き込んであまり居心地がよくない。飯を食べると何もすることがなくなって、早々に下りることにする。さっき一歩一歩登った斜面を、ワカンで駆け下りてしまう。将軍に出たが、足跡は夏道を通っていない。ここから左に入れば、さっきのゴーロに出ることは分かっていたので、気分がよくて、速く下れるゴーロを通ることにする。どんどん下るが、本気で走ったら、やっぱり夏の方が速いかな、でも膝はこわれないですむ。

水出まで下りて、ワカン、スパッツを外す。御泉水から牧場を通って帰る。牧場の上部にも雪は相当残っていた。蓼科山はこれで4回目、この次は時間を狙うか、バリエーションルートをとるか。

帰って少し休んでいると、入寮者ありの様子、68回の森さんと友人の福田さん。何のことはない、また森さんですか。それでも別につまらない人というわけではないから歓迎である。その夜から3人暮らし、2人に両方からたばこの煙を吹きかけられる。ウエストミンスターとやら、吸わないこちらには何の響きもない。眠るのは今夜も一人だが、隣の部屋に人がいると思うと心も落ち着く。

 

3月26日

 雪、どこにも行かず、沈殿、飯のおかずでめぼしいもの、フキノトウ、しめじの大根おろし和え。入寮者あり、67回 宮崎、森田、小川、河野、66回 五明

風呂に入る。、

 

3月27日

 新雪10センチ、スキーをしたかったが相棒なし、森さんと白樺湖まで買い物。

その後、沈殿。素晴らしい空の青さ。

 

3月28日

 晴れ、小川さん帰る。五明、宮崎、森田、河野、福田各氏と散歩。森さん留守番。

牧場の牧水歌碑、二牧への道はぬかっていてひどい。二牧は雪も残って感じよかった。

帰りは平和の谷を登って尾根を越す。上の方は雪深く、スキーに絶好だった。

 

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二牧の印象

3月29日

 また雪、沈殿。朝、五明さん、福田さんが帰り、その後、森さんに電報「スグカエレ」森さん急いで帰って行った。入寮者あり、62回 波多野、67回 竹内、吉田、68回 鈴木の4氏。夜はバーベキューソースを使ってすき焼き、にぎやかになった。

 

3月30日

 昨夜は部屋交換して、今日帰る人たちと夜遅くまで歓談、今朝も早く起きて話をした。いい人たちだった。島田入寮、雪の中着いて、その後もどんどん降る。宮崎、森田、河野、波多野氏帰京。大分寮がすいたので8畳に引っ越し。雪はよく降る。竹内、鈴木両氏が樽ヶ沢からスキーを借りてきたので、牧場で一緒に滑る。なんだか知らないが滑れたみたいだった。島田が財布をなくす、意気消沈、雪激しく八ツ遠征はあきらめる。

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3月31日

 快晴、沈殿。島田の財布見つかる。ウクレレの練習、卓球して、風呂に入る。

 

4月1日

 快晴、帰っていく竹内、吉田、鈴木の3氏を送って白樺湖まで、帰りは1人で間道、白樺湖から直接、寮に向かう道、あまりはっきりしなくて、どこへ出るのか分からなかった。かなり下流の原の真ん中から境川下流に出た。ところが丁度、守さん、俊クン、峯ちゃんのイワナ釣りの一行に出合う。そこで釣り見物、しかし残念ながら全く釣れず、釣果ゼロで引き上げる。

 今朝着寮した64回の石さんが、いろいろと料理してくれた。昨日釣ったイワナも食べられた。石さんは春山の帰りだそうで、真っ黒に日焼けしている。入寮者どっさり、

70回2組11人。

 

4月2日

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幻平

 騒々しい寮を逃げて、昼寝に行く。あまり良い天気ではない。石さんも早朝帰った。唐沢を登って幻に出る。風が強い、ようやくここで、ゆっくり出来ると思ったのに、これだ。構わぬ!セーター、ヤッケ、オーバーズボンをはいて横になる。床が湿っていて心地よくない。昨日はあんなに暖かったのに。それでも1時間ぐらい眠った。顔の上を風がビュービュー吹く。昼飯のおにぎりを食べ、パンをかじり、スケッチをする。今日は空も青いところが少なく、明るさがない。

 幻から御泉水に行くことにする。そこで前方からバタバタと大きな音がして、キジが飛び出していった。オスだかメスだか分からないが、とにかくしっぽが長くて、大きくて、滑空するような、何か敏捷じゃない。でもおどろいた、こんなところでキジに出会うとは、幻は秘境なり、である。御泉水の牧柵はどこにつながるのか、幻の上の尾根は木が疎らで感じいいし、歩いてみたい。夢に行く、逢引石の上に登ると、。いい気持ちになってきたので、眠ってしまった。ここは暖かくていい、40分も眠ってしまった。

 起きてから竜、夢の続きに行って、また二牧の方に行ってみる。この前遊んだあとが残っていた。平和の谷を見下ろして、また一牧の方に戻る。国学院寮の付近はまだ分かっていないところが多い。犬二匹に追いかけられた。最後の夜。

 

4月3日

寮発(15:05)~池の平(15:45~16:05)=茅野(17:20~18:10)=新宿(23:30)

 

雨、帰る日、昼まで遊んで、3時に寮を出る。番傘を借りて間道を行く。八重原を辿るのは遠回りで損だった。おかげで少々焦ってしまった。雨風強く、ずいぶん濡れた。10日以上いた蓼科に別れ、文字通り冷たい別れだった。茅野から鈍行、雨に濡れてわびしく、御柱の賑わいが空々しかった。新宿着23時半、タクシーで帰る。これで個人で行く山も少なくなってしまうだろう。それでも蓼科には、また行きたい。