1107~08剣岳北方稜線

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1107~08剣岳北方稜線

剣周辺で残っていた北方稜線、小屋泊まりで荷を軽くして2泊3日で駆け抜けようという計画。

参加者  木邨充宏  益崎健二郎  片岡ひとみ  伊東 毅

7月30日 矢野口駅(15:30)=府中IC=須玉IC=鉄驪荘

 今年も前日は鉄驪荘集合、浜野さんは今回も不参加、片岡は仙台から被災者として高速代免除。ジンギスカンで盛り上がり、うまい冷汁で締め。

7月31日 鉄驪荘(5:00)=扇沢(8:30)=室堂(11:00~11:20)~雷鳥沢手前橋(12:00)~別山乗越(13:50)~剣沢小屋(14:30)

 アルペンルートが混むと困るので早めにスタート、ところが小淵沢を過ぎてめがねを忘れてきたことに気がつく。またしても、である。浜野さんに電話したら時計も忘れているよ、ということで諏訪南ICで下りて届けてもらうことに。まことに申し訳ない限り、折角早く出たのに30分近くロスしてしまった。これで何度目の忘れ物か、ロートル化はなはだし、困ったことだ。豊科で下りて途中のコンビニで昼食のおにぎり、パンを仕入れて扇沢へ。意外にお客が少ない、トロリーバスにはすぐ乗れた。中国からの団体が少ないせいだろうか、いつもの騒がしさがない。ケーブルもゴンドラもトロリーもスムーズにつながり、室堂には11時到着。これなら楽勝だ、下手をすると2~3時間待たされるかと思ったのだが。天気は扇沢では小雨が降っていたが室堂ではやんでいた。でも周りの山は見えない、室堂から地獄谷を通って雷鳥沢の野営地へ、この方が近いのかな。雷鳥沢の登りにかかったところで昼飯休憩、この辺からまた雨が降り出した。カッパの上と傘でしのぐが結構濡れる。途中もう一回休んで別山乗越は休まず、そのまま剣沢に入る。三田平には天幕がいくつか、みんな今風のテント、当たり前だが昔のような屋根型テントは見られない。むかし剣沢小屋は三田平の上端にあったはずだが、今ははるか下、剣沢の傾斜が急になるその上に移っていた。宿泊の手続きをして行き先を北方稜線と告げると、ピッケルは、アイゼンは、ザイルは、GPSは、といろいろ訊かれる。どうも事故が多いようだ。登山計画書を渡したら一応納得したようだった。小屋は新しい、トイレも水洗だが男女合わせて4つしかないのは不便。晩飯は厚くて大きなポークソテービーフシチューがついて少々持て余す。ここは基本的に予約客だけだそうで、上下10人の部屋に8人、われわれは上段、5人分のところに4人だから一応ゆったりだったが、新建材で機密性がよく、上段の寝床は熱気がこもって暑過ぎる。それに下段の人のいびきがすごかった。益崎、木邨のが寝息に聞こえたくらい。

8月1日 起床(4:00) 剣沢小屋発(5:05)~一服剣(5:55~6:05)~前剣(6:50~7:05)~平蔵コル(7:50~8:00)~剣岳頂上(8:35~9:05)~長次郎コル(9:35)~長次郎ノ頭トラバース後半(10:00~10:15)~池ノ谷乗越(10:30)~三ノ窓(11:20~11:45)~雪渓トラバース(12:45~13:05)~2650mピーク(13:30~13:40)~小窓(14:35~15:00)~遭難碑の峠(15:55~16:05)~池ノ平小屋(16:30)

 今日は長丁場、スムーズにいって9~10時間、ということで4時起き、朝食は弁当。小屋の食堂で食べてから出発、雨はあがり、雲は多いが山は見える。剣沢の雪渓を横断して剣山荘まで20分、そのまま一服剣まで1ピッチ。霧が晴れ、剣本峰が姿を現わすが、あまりに見慣れた姿で感激はない。二つの小屋から本峰を目指す人が続々、抜いたり抜かれたりしながら平蔵のコルに着くと、カニのタテバイには15人ほどが順番待ちしていた。それでも10分ほど休んでいたら我々の番になる。月曜日なので人が少なくなったようだ。ガッチリした鎖が張ってあるので、見栄をはらず体力温存のため積極的に鎖を活用する。ところでこのタテバイルートは昔と違うようだ、前はもっと左にあったような気がするが、そちらは下り専用で登りルートは新たに作ったようだ。頂上には人がいっぱい、北の端まで行って昼飯の1、天気がよく暖かい。五龍、鹿島、爺、針ノ木など後立がシルエット、立山の向こうに薬師、白山も見え、富山平野日本海も見えた。頂上から北、長次郎のコルに向かうところに立ち入り禁止の看板がある。この先は一般ルートではありません、ということ。われわれがそちらに向かうと後ろから若者が2人ついて来た。軽装だし大丈夫かなと思って、どこへ行くのか聞いたら、長次郎を下りると言う。ピッケルは持っているのか聞いたら、ない、アイゼンもないと言うのでそれでは雪渓を下りられない、無理だから引き返しなさい、と伝えたのだが、なんとなく未練がましくぐずぐず言ってついて来る。長次郎のコルに着くとアンザイレンした3人パーティーが上がってきた。挨拶したら福田さんというガイドとお客さんで、池の平小屋の主人、菊池さんによろしく、とのことで、ついでに長次郎の頭の取り付きを教えてくれた。あの若者たちも福田ガイドにたしなめられて引き返すだろう。少しほっとした。さて、言われた通りコルから正面の凹角を登るとはっきりしたバンドが右手長次郎側に伸びている。あとはこのバンドをトラバースして行けばいいわけで、10年前に雨の中でビバークしたのはトラバースを始めてすぐそこのところだった、確かに視界がない中で、あの凹角の岩場を下りることを考えられなかったのも無理はない、とあらためて再確認した。熊岩にテントが一張り、八ツ峰の6峰フェースあたりを登っている声が聞こえる。途中で岩登りスタイルの女性2人にも会う。三ノ窓に張っていたがチンネはガスで見えないので撤収して来たとのこと。トラバースの途中でひと休みしていたら、池ノ平小屋から北方稜線を来たという男女2人のパーティーに会う。まだ10時だから5時に出たとして5時間、かなり早い。池ノ谷乗越に下りると岩登りの男女3人パーティーに会う、熊岩のテントの持ち主、チンネに行ったがやはりガスで引き返してきたということだった。どのパーティーにも若い女性がいる、岩をやる女性が増えているのかな。池ノ谷ガリーは踏み跡が出来ている、通常右手チンネよりを通る、とされているのだが踏み跡を下りた方がむしろましかも知れない。三ノ窓に近づいたがすっかりガスに包まれて目指す小窓王が見えない、風がないのでガスが動かない、ここからが核心部だと言うのになんてことだ。三ノ窓から池ノ谷側へ少し下りて偵察、近づいたらガスの中に左上するバンドが見えた。積雪期のフィックスロープもあったので、ここで間違いない。やれやれである、取りつきでひと休みしていたらポツポツ雨が落ちてきた。まったく意地の悪い天気だ。ハーネス、スワミベルトを着けてバンドに取りついたが、傾斜は緩い、幅は1m以上ある、ということでなんてことはない。浮石が多いガレ場の延長のようで、まったく問題なくバンドを抜け小窓王の北側の稜線に出た。ここからしばらく北へ稜線をたどり、途中で右手草付きの斜面を下りていく。この辺は踏み跡がしっかりしていたが、下りるに従いガレ場まじりとなり、踏み跡が不明瞭になる。4人散開して踏み跡をさがしたりして何とか第一の雪渓に到達。それほど急ではないが下の方が落ち込んでいるのでザイルを出しアイゼンをつけて慎重に渡る。渡った地点には他に足跡がなかったので、ここがルートかどうか分からない、渡った後も踏み跡がはっきりしない。もう一本幅の狭い雪渓を渡ることになっているが、次にぶつかった雪渓は幅が50m以上ある。どうもおかしい、よく見るとこの雪渓は少し上で終わっていて、その上の草付きをトラバース出来そうなので少し登り返して雪渓上の草付きを横断、対岸に達したが、ここでもはっきりした踏み跡がない、伊東は下の方を、木邨たち他の3人は上の方を探す。雨が降って視界がないので全体の地形が分からないのが痛い。下の方には踏み跡らしいものは見つからず、もう一つ雪渓に出たので、あきらめて上へ登り返す。一方木邨たちははっきりした踏み跡を見つけ、それをたどって稜線のようなところに出ていた。ちょっとしたピークで合流してGPSを見ると、どうやら地図の2650mのピークにいるらしい。これは小窓ノ頭と言うらしく、踏み跡は小窓尾根へ向かっているようだ。小窓へ下りるには少し戻らなければならない。どうもさっき伊東が下りかけた尾根が正しいみたいだが、踏み跡はないので今度はGPSで方向を確認しながら草付きの斜面を下りていく。こうなるとGPSだけが頼り、これがなければ動けないところだ。しばらく下りるとガラ場まじりとなり、その下に右手から下りてきた踏み跡を発見、やれやれ、これでなんとかなる。多分第一の雪渓の横断点が違っていたのと第二の雪渓の横断点ももう少し下だったのだろう、こう視界が効かなくては全体の地形が見えないから仕方がないところだ。それにしてもGPSさまさまである。やがて下の方に大きな雪渓が見え、ガスも晴れてきた。小窓雪渓である。踏み跡は這い松の間のトンネルから小さなガリーの中を下って行く。この辺はガイドブックの記述通り、そして待望の小窓に下り立つ。白萩川側は急なガレ場、ガスで何も見えない。小窓側は草付きとゆるい雪渓、快適そうなテン場もあった。ここまで予定より1時間ほどの遅れ、ルート探しにあれだけ手間取れば仕方がない。この先は鉱山道の入り口の発見だが、このくらい視界があれば大丈夫だろう。小窓雪渓はグリセードも出来ない傾斜、アイゼン不要、滑っても落ちていく心配はない。ゆっくり下りながら左岸、鉱山道を探す。右手三ノ窓側から落ちる滝が見えたころ、片岡が左岸の岩にペンキの○印を発見。標高2100mよりちょっと上、予想より少し手前だ。でもあれだけはっきり書いてあるのだから間違いないだろう、雪渓から左岸のガレ場草付きを登り、○印に到達。でも道らしいものはない、すぐ先に真っ赤に錆びたタンクのような残骸があったり、ほんの一部だが石組みがあったりしたから、ここが鉱山道だったことは確かだろう。でもちょっと上すぎたようで、そのままトラバッて行ったのだが途中に雪渓あり、崩れそうなザレ場あり、少々いやらしかった。それでもなんとか切り抜けてしばらく行くと道らしいところに出た。ガイドブックには平らで歩きやすい道とあったが、結構荒れていてあまりいい道ではない。休めるところもないので池ノ平の谷への乗越、指道標と遭難碑のあるところまで行ってひと休み。平の池が見え、小屋まではもうすぐ、ここからは一般登山道ということらしい。初めてゆったりした気分で歩いて30分足らずで池ノ平小屋に到着、小屋の人が迎えてくれた。16時半だから11時間半、まあいいところかな。雨と露と汗で全身びしょ濡れなので下着まで着替え、小屋の人がトレーナーのズボンを貸してくれたので助かった。風呂も沸かしてくれていたので、浸かるだけだがさっぱりする。剣沢小屋の若い支配人?が着いたら電話するように厳しく言っていたので、電話を入れてもらった。この小屋は手作り風の小さな小屋、先客が20人近くいて和気あいあいとやっている。上段は我々だけなので今日もゆったりだ。ビールを飲んで焼酎、ワインをちょっと飲んで夕食、明日も長丁場なので早めに寝たが、下の人たちが延々と宴会をやっているので寝られない。8時になったところで一声お願いして終わりにしてもらった。