三ツ峠

 

1960年5月

 

参加者        狩谷 求     目良誠二郎     伊東 毅

5月30日~31日

新宿発(23:55)=大月(2:02~2:42)=三ツ峠口(3:16)~だるま石(4:47~5:00)~白雲荘(6:35~10:00)~三ツ峠山頂(10:10~10:45)~木無山(11:10~11:40)~母の白滝(12:40~13:00)~河口湖駅(14:10~14:23)~大月(15:35)~新宿(17:21)

 

 夜10時半に家を出る。駅にはみんな来ていた。島田が見送りに来てくれた。病み上がりで今回は残念、しきりに行きたがっていた。狩谷は久しぶり、目良は初めて、兄貴が山へ行くそうで一応さまになっている。しかし彼の荷物はほとんど食料とあるから愉快、楽しみだ。11時半ごろ島田が帰り、23時55分出発、あまり眠れない。大月で下車、6月とは言え涼しい、空はどんよりと曇っている。富士山麓電鉄の電車はすでに入っていた。ゆうゆう座れ、横になったらそのまま昏睡、三ツ峠の駅で起こされるまで気持ちよく眠れた。

 駅を下りたのは我々を含め15~6人、暗い道を特有の匂いにつられて歩き出す。30分ばかり歩いたところで狩谷が時計がないことに気がつく。さあ大変、ザックをかき回してもない、仕方なく一発立てて、狩谷は探しに戻る。暗い中ただ待ってるのも何だからおにぎりを引っ張り出す。そのうち雨が降り出した。こちらは傘を出したが狩谷が可哀そうだ。いっしょに行ってやれば良かったけれど、やはり自分のことを考えると、それに落としたらしいあたりまでの距離を考えると(その時はすごく遠く感じた)どうも行く気がくじけてしまった。それでも狩谷は意外に早く帰ってきた。時計を持って、よく探したものだ。

 待っている間に空が少し明るくなってきた、やっぱり曇っている。余り調子の良くない足を励ましながら歩く、朝露が汗の吹き出た頬に冷たい。だるま石小屋で一発、真っ黒なお茶を出してくれた。主人はだるま石小屋の主にふさわしい容貌だが親切だった。この裏から急登が始まるが、相当ピッチが速い。時計騒ぎで最後尾になったのに、ここの登りで先頭に出てしまった。胸突きというほどでもないが、同じ調子の坂がずっと続くから汗が激しく出る。目良はここで相当参っていたようだが、元々足は弱い方じゃないから意外に元気だ。狩谷が眠気に襲われて途中の休憩で昏睡してしまう。雨はまた降ってきている、ガスが出て谷も何も見えない、時々電車の音が聞こえてくる。パイカンをあけ、一口ようかんを食べて元気をつける。それから間もなく八十八大師、そして白雲荘、ここで休む。牛乳が美味かった。こたつに入って休んでいるといつの間にか眠ってしまう。

 起きてから朝飯を食べ、出発。休憩料70円は高いな。ここからしばらくで屏風岩の根元に着く、予想していたよりはるかに大きい、ガスがまいて上の方は見えない。本当に九十九折りの屏風である。程なく鞍部の小屋に着いたが休まず山頂に向かう。視界はきかない、時々ガスが切れて御巣鷹山、木無、御坂の山なみが見える。無線の中継所も見える。ここには三角点がない、いくら探しても見つからない、何だかおかしな気持ちで頂上を下り、富士見荘で記念のスタンプを押して木無に向かう。稜線にテントが張ってあったが水があるのかな。木無はカヤトのなだらかな頂だが、途中の大して高くない稜線上に三角点があった。そして三ツ峠山頂と書いてあったが地図とは位置が違っているようだ。霧が峰のような木無の広い山頂の一角に店を広げ、みかんの缶詰をあけ、軽い昼飯。

 ここからは河口湖に向かって雑木林の中を下り続ける。途中で一時雹が降ってきたがすぐまた雨に変わった。母の白滝では初め上の段だけを見てなんだ大したことないなと思って一休みした後、下り始めたら下にも滝が落ちていて、こちらの方がずっと立派な滝だった。20mくらいだろうか、幅が広いのでなかなか美しい。休んだ直後でゆっくり出来なかったが写真を撮ってまた下る。このころから雨が激しくなり最後までやまなかった。河口湖は船に乗るのは止め、湖畔を歩くことにする。初めは雨の湖畔を行くなんて、ちょっとロマンチックな気分かと思ったが連れが至って無粋ときては、雨がうらめしくなる。道は大部分舗装がなく、バス、トラックが通るたびに戦々恐々、足の裏が痛くなる頃ようやく賑やかな街に入った。駅まで街中を通り抜け、切符を買って中に入る。電車は入っていた、来る時よりずっといい電車だったが、ちょうど成城の小学生の一団と乗り合わせてしまい、やかましいこと。タイミング悪し、である。今回は天気も含め何かとついてなかった、島田に呪われたか?

f:id:shinnyuri2179:20190607123807p:plain