三ツ峠(3)

1962年10月

 

参加者   三吉 譲  大坪英臣  伊東 毅

   

 

10月27日

新宿発(20:27)=大月(22:26~22:32)=三ツ峠駅(23:05)~白雲荘(2:45~8:15)~取り付き(9:30)~終了(15:00) 就寝(21:00)

 

前夜発、1年生だけ3人、連れは岩登りは夏山だけ、ちょっと心細い。一晩泊まる予定なので超特を背負って行く。三つ峠の駅から、いつになく重いザックに意気上がらず、ダルマ石当たりで幕っちまいたい心を抑えて、ひたすら登る。三吉が少しふらついて危なっかしい。眠いのだろう。八十八大師から白雲荘への道で、ひどく転倒、驚かされたが、まあ大丈夫だった。小雨降る中4ピッチ、ようやくにして白雲荘に到着、中は真っ暗、中の人を起こさないように、静かに上がり、シュラフにもぐり込む。

起床、大分にぎやかになっている。飯食って、登攀用具を出し、岩場に向かう。あまりいい天気ではないが、とにかく今日はもつだろう。岩場下にキスリングを置き、準備体操を軽く、伊東トップで一般右を登って、大坪登り、三吉登る。続いてアプザイレン、大坪はザイルのかけ方を間違える。危険きわまりない。伊東は左ルートを登ってみたが、やはり悪いところだ。サンドイッチを登って、どんどん登る。19番クラックは三吉トップ、伊東はフライ。それで、例のフェースでバランス訓練。大坪ジッヘルで三吉が取り付くが、まだまだ不確実、ついにスリップしてぶら下がった。その左の小クラックを登ってみるが、大坪はなおのこといかん、少々がっかり。山頂に出て、またキスリングのところに戻る。不動滝の水が使えるので、岩場の直下に張ることに決定。昼飯を食ってひと休み、今日は土曜で岩登りの人も多い。

午後は右ルートを三吉トップで、伊東はフライ、もうなんてこともない。三吉、大坪が登っている間に、十字とサンドイッチの間のチムニーを登って十字下のテラスに出る。ところが、これから十字を登るのもフライじゃ、やっぱり嫌な感じなので、ザイルを投げ上げてもらってアンザイレン、右のカンテを回り込みサンドイッチの左に出た。いやなところだ。今日はもうあまり登る気もしない、エッセンの方が楽しみなので、今日はこれで打ち切り、第一クラックを懸垂で下り、その下も懸垂で下りて終わりにした。

ツエルトを張ってエッセン作り、すき焼き、エッセン費の大部分を肉に充てたので、堂々の夕飯、すき焼きを食べきれず、飯も余ってしまった。ツエルトの中は暖かい、快適な夜を過ごせるかと思えたのだが。夜遅くまでサブサブを食い、話に興じているうちに、雨が降り出した。こいつはまずい、しかしどうにもならない、構わず寝てしまう。

 

10月28日

起床(5:30) 撤収(8:00) 白雲荘発(11:00)~三ツ峠駅(12:30~12:40)=大月=帰京

 

 雨は激しく、シュラフはびしょぬれとなる。ひどくなってきたので起きだし、ラジウスを空焚きして暖をとる。雨はじゃんじゃん漏って、何から何まで濡れてしまう。浸水も激しい、いい加減、頑張ったが、雨は弱まらず、このままじゃ、どうにもならないので、意を決して撤収、雨の中、荷を取りまとめて背負い上げ、白雲荘に逃げ込む。白雲荘はものすごい混雑、後から後からやって来るハイカーでごった返している。

後発隊は着いていると言う。益崎が来て、我々を探しに、都留さん、平松さんが毛無の方に行ったという。こいつはまずい、責任を感じて、単身2人を探しに雨の中を出る。毛無の稜線を歩いてコールしてみるが、応答なく、ひどい吹き降りなので、ひとまず白雲荘に戻る。依然、2人は帰っていない。我々のツエルトは、それほど目立たないところにあったわけでもないのだが、連絡が行き届かなくて、こんなことになってしまった。中沢等と2回目に出た時、岩場下で戻ってきた2人に会ってホッとした。

皆は2階に陣取っていたが、まわりが騒がしく、頭に来そうである。飯を食って、天候回復を待つが、まったく回復の兆しなく、ついに今日は断念。豪快なアインツバイをやって、まわりをおっぺし、下ることにする。後から来た5人は、まるっきり何も出来ず、残念なこと、気の毒だった。しかし、われわれにしても、びしょぬれになって、同じようなものだ。下りはツルツル滑る道、超特の2人は何度も転ぶ。雨は終日あがらず、湿っぽいザックを背負って帰宅。ついてなかった、サンデーパーティーに心がけの悪い奴がいたに違いない。慙愧な一日だった、それとも、仏の顔も三度か。