大菩薩連嶺縦走

大菩薩連嶺縦走

 

1961年2月

 

参加者   島田富夫  伊東 毅

 

2月20日

新宿発(23:55)=塩山(3:04~7:00)=裂石(7:35~7:40)~小休(8:30~8:50)~小休(10:00~10:15)~福ちゃん荘(10:55~12:00)~大菩薩嶺(12:45~12:55)~賽の河原(13:10~13:35)~福ちゃん荘(14:15~14:30)~アイゼン訓練~福ちゃん荘(16:00)

 

 新宿駅にはもうかなりの人がいたが、座れないほどではなかったのでひと安心。塩山まででは夜行も眠る間もなさそうだがしかたがない。スキー、スケートの客が多いが、山登りもいる。大菩薩の南、雪の状態がどうか気になる。ストックを持ってこなかったのが不安だったが、後でストックはおろか、スパッツやヤッケ、オーバーズボンまで要らないなんてことになったのだから、取り越し苦労だった。

 浅川から大月あたりまで少し眠ったが、後はあまり眠れなかった。勝沼あたりに来ると甲府盆地の街の灯が美しい。塩山に着いた時はまだ真っ暗、他にも10人ぐらい下りたがタクシーに乗って行った人もいた。山梨交通の車庫に行ってみようかと思ったが、暗くてよく分からないので、引き返して駅の待合室でバスの時間を待つことにした。火の気のない待合室は底冷えがして、ひどく寒い。冬山に向かうのに駅の待合室で寒いとはなにごとかと言われそうだが、寒いものは寒い。ベンチの上に横になってみるが、足が冷えて眠れない。タオルやマフラーをかけてみるがあまり効果はない。駅員のいる部屋のストーブが恋しかった。

 バスは5時半ごろにあると思っていたのだが、悲しいことに7時にならないと出ない。明るくなってきたころバスの車庫に行く。ここから朝の陽を浴びてバラ色に染められた富士が見えた。待望の裂石行きのバス、はじめはすいていたが、どこかで土木工事でもあるのか、土方風の人たちが大勢乗ってきて混んでくる。おまけに我々のザックの上に腰を下ろしてしまって、気分が悪い。

 裂石の荒れたような感じがする街を出て山道に入っていく。前方の山は大菩薩だろうか、それにしては雪が少なすぎる。バスの中で聞いたところでは、雪は少ないということで、どの程度少ないのか、はなはだ気になるところだ。ところどころにお休み所のようなものがあり、どうもハイキングコースという感じが強すぎて、気分は盛り上がらない。

 急坂にかかって少し登ったところにベンチがあって、眺めがいいので一発立てる。南ア、白峰、駒、仙丈が素晴らしい。八ッは上部が雲の中だ。このあたりでも雪は山蔭に散在するのみ、だんだん心細くなってきた。白峰の素晴らしさを見ると、こちらもせめてワカンなりとも履いて歩きたいと思うのだが。それでも道が山陰に入ると下が凍って、靴が滑るので要注意。どんどん登っていくと雪は増えて、クラストが激しいところでは、ピッケルでステップを切ったりするようなところもある。そのうち、ピッケルを振るのが面倒くさくなったわけでもないだろうが、島田はアイゼンを履いてみたりしている。島田のナーゲルは使いすぎて山がなくなっちゃってるそうで、、雨に叩かれたクラストに歯が立たない。こちらの靴は半年ほど新しいのでいくらかマシだ。

 上日川峠には出ずに福ちゃん荘の上へ向かう。こんなところまで来ても雪は少ない。行く手に大菩薩のスカイラインが見えた時、ああ、なんと悲しきことに、茅戸が露出して、黄色い山肌が青空のもとにやけに印象的で、もうどうにでもなってくれという気分。

 福ちゃん荘を通り越して勝縁荘に向かったが番不在、下山中とのことで、福ちゃん荘へ逆戻り。勝縁荘の前の小川は完全に凍っていて、まさに氷河と化している。ここで少しぐらいならアイゼンで遊べるだろうと少し喜ぶ。

 福ちゃん荘に入って昼飯にする。炬燵に火を入れてくれた。たいして寒くなかったが、やはり、あると嬉しい。飯を食うと眠くなってしまったが、とにかくひと回りしてこようと出かける。4時間ぐらいかかるそうだが、何も要らないだろうと水筒だけをぶら下げて、唐松尾根を行く。雪はなく、道が少しぬかっている。かと思うとパラパラに乾いていて埃が立ったりして、靴が汚れること甚だしい。

 暑いが手ぶらなので足も軽い。雷岩まで意外に簡単に着いた。乾徳の扇平をでかくしたような感じのカヤト原である。雷岩には4人ほど人がいた。そのまま大菩薩嶺まで行く。樹林の中はさすがに雪があった、30cmぐらい。平らな道を歩いていくと道標があり、大菩薩嶺と書いてある。展望はきかず、写真だけ撮って戻る。雷岩から峠に向かい、途中に雪の斜面があったので、島田の尻皮で尻セードをして遊ぶ。

 峠には小屋が二棟あり、ヨシズ張りの休憩所があった。この季節番人はいないので中には入れない。シーズンならハイカーの行列だろうが、今は訪れる人も少ない。こんなところには、こんな時にしか来ることもないだろう。一応、世に有名な大菩薩峠に行ってきたということだけ。

 福ちゃん荘に戻って、少し炬燵で暖まってから、さっき見た氷河で遊ぼうと、ピッケル、アイゼンを持って出かける。あまり傾斜もなく、大きな滝もないので、そんなに面白みはないが、それでもけっこうピッケルを振ったりして楽しめた。

 飯はプロパンガスもあったが、我々は持参のラジウスとバーナーで作る。美味い飯が炊けた。水は冷たくなかったし、気温も今頃にしては高い方らしい。同宿は1人、地下鉄に勤めているそうで、真新しいピッケルを持っていた。明日が気になるが、雪が多いという心配はなくなったので、ゆったりとする。炬燵に足を突っ込んで眠る。ふとんも豊富なのでポカポカしてよく眠れた。

 

 

2月21日

起床(5:45) 出発(7:30)~大菩薩峠(8:10~8:20)~小休(9:20~9:30)~小休(10:05~10:15)

~牛奥・川胡桃のコル(10:55~11:30)~黒岳(12:30~12:40)~湯ノ沢峠(13:15~14:00)~

小休(15:20~15:35)~小休(16:15~16:30)~初鹿野(17:15~17:25)~新宿(19:55)

 

 朝は少々寝過ごす。すぐ飯とみそ汁で朝食。天気は上々、普通のいでたちで出発、島田はアイゼンをぶら下げている。クラスト地帯にやってきたが、柔らかいのでビブラムで平気、島田のナーゲルは歯がないも同然なので、慎重を期してアイゼンを着けるが、それも峠までで終わる。

一発立ててから、いよいよ小金沢に向かって、雪の中に足を踏み入れる。熊沢山は難なく越える、雪は古いので締まっていて全然もぐらない。狼平には雪が真っ白にあったが、薄く堅く、大したことはない。それでも人の入らない小金沢なので、一応緊張して行くのだが、この調子ではワッパはまた不要になりそうだ。峰々の北面は雪、南面はクラスト、または雪なし。小金沢山は少し林がまばらになって、南面が開けている。先はまだ結構ありそうだ。笹の斜面は下がクラストしていて、うかつに乗ると滑って怖い。        

小金沢も牛奥も川胡桃も北面が樹林で南面がカヤトと笹で明るく、よく似ている。案の定、雪は少なく、平凡な上下を繰り返す。牛奥を下りきったカヤトの原で昼食、仏パンがうまい。風が冷たく、飯がすむと、やはり先がどのくらいかかるか分からないので、すぐ出る。黒岳へは少し倒木があった。大峠と500円札の富士山を撮ったという雁ヶ腹摺山を左に見て、大したこともなく黒岳に着いた。

調子はいいのか悪いのか、よく分からない。あまりさえた気持ちになれないのは何故だろう、うらぶれた感じでパッとしない、空も色彩もすっきりしない。ただ先を急ぎたい気持ちだけ。黒岳の下りは結構あって、途中砂っぽい岩もあったりして割と変化があった。

湯ノ沢峠に着くと、いよいよ終わりで、少しゆっくりする。ここも明るさのないところだ。写真など撮って、右手の藪の中に入る。少しずつ沢らしくなるが、水はすべて凍っている。足元がつるつる滑るので、用心しながら下る。意外に長い下りで、途中に炭焼きの窯などがあって、軌道に出た。奥秩父の軌道のように立派ではないが、たんたんと長いところは似ていて、足が疲れるところもよく似ている。

ともかく、とことこと下る。だんだん人臭くなってきて、民家も現れる。足がそろそろ痛くなって、地図より長く感じるころ、焼山の部落に着いた。足を投げ出して休み、沢の水を飲む。そのあともオート三輪などが入るのだろう、広い道をどんどん下る。途中でトンネルがあり、それで尾根を一つ越して、向こう側に出ると、また同じような景色が現れる。

それでも少しずつ谷は狭まって、なんとかいう遺跡?のあたりは、谷も美しかった。しかし、足の方はそれ以上に痛くなってきて、二人そろって足の裏が痛む。田野鉱泉から国道に出た時はホッとした。新笹子トンネルがこの辺の村とは不調和な活発さを呈している。初鹿野駅で牛乳など飲むと、もう時間がなくなって汽車が入ってきた。雪山のつもりで来たのがはぐらかされて、どうもあまりパッとしない山行になってしまい、最後は気が滅入るような感じだった。

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