2013年乗鞍冬山スキー合宿

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2013年冬山合宿記録

日程 2013年12月23日--29日
行き先 乗鞍岳
記録者 白石

1. 12月23日
分倍河原7:20--12:30鈴蘭13:40--14:00休暇村14:30--VSA
曇り

塚本、津田、澤田、白石、伏見、松本の6名は駒場部室に前泊して、分倍河原でOBの伊東、内田、大谷、岸と7時に合流した。金山、土井は自宅に泊まり、6時50分に府中本町でOBと合流した。談合坂、諏訪湖のサービスエリアで休憩を取りながら、松本を目指した。松本のスーパーで、VSAでの夕食分、山行用の豚肉を買い出し、鈴蘭に向かった。鈴蘭小屋で事前にゆうパックで送っていたザック2つ分の共同装備類(テント、ザイル等)を受け取った。大谷もここで荷物を受け取った。その後、鈴蘭小屋の向かいにあるメープルで昼食をとり、休暇村に向かった。
各自準備を済ませ、三々五々出発した。伊東と塚本が先行してラッセルした。VSAに到着してからはストーブの火を起こし、エッセン係の土井、澤田、白石が水汲みに行った。宿泊の準備をしている間、一般の登山者と思われる者が来て、VSAの倉庫が無断で荷物置き場として利用されていたことが判明した。この件については、下山後に対策を取ることとなった。
その後、大谷とエッセン係が中心となって夕食を作った。メニューは大谷の差し入れのステーキ、野菜炒めであった。また、この日は12月23日。クリスマスケーキを食後に食べた。
就寝は8時頃になった。OBと一部の現役はストーブの周りで寝た。火は、津田がストーブ番として管理した。

2. 12月24日
VSA7:00--8:10ゲレンデ下部8:25--9:15ゲレンデ上部--9:30バス道9:40--10:20クロイ沢10:40--11:30バス道--11:40休憩11:55--12:25冷泉小屋--13:45位ヶ原山荘
曇りのち雪

エッセンは4時半、それ以外は5時起床で、鶏雑煮を朝食として食べた。準備を済ませ、7時に出発した。VSAの片付けは、本隊出発後に内田と大谷が行った。
まず、主に夏道を辿りながらゲレンデに向かった。途中からトレースがついており、それを利用した。ゲレンデの下部で一息入れてからゲレンデを登り始めた。現役がスキーでの傾斜歩行に慣れないこと、風が多少でてきたことなどが原因で、少し時間がかかった。ゲレンデからクロイ沢まではバス道を歩き、クロイ沢からは夏道を歩いた。バス道とは打って変わって、傾斜のある道とザックにぶつかるブッシュで、山スキー初心者の現役は苦労した。冷泉小屋の前を通過したあとは、夏道、バス道を交互に利用しながら、位ヶ原山荘にたどり着いた。位ヶ原山荘直前のバス道から薮に入るところで、土井のシールの留め具が壊れた。結局片足にシールがつかないまま、岸が付き添って、バス道を辿って、遅れて位ヶ原山荘にたどり着いた。なお、翌日以降、土井はガムテープによってシールを留めた。
現役は山荘から少し上にある橋の先にテントを設営した。水用の雪集めやトイレ作りを済ませ、各々のテントで夕食のカレーを食べて就寝した。テント割はゴアライトに津田、白石が入り、岸は夕食を2日間このテントでとった。ステラリッジには金山と澤田が入り、V6には塚本、土井、伏見、松本が入った。その日以降は、翌日合流したOBでガイドの田中と、ステラリッジの2名はV6で夕食をとった。

3. 12月25日
テント場8:45--9:37位ヶ原9:55--10:20休憩10:40--11:05肩ノ小屋11:45--13:00蚕玉岳直下コル13:20--13:50剣ヶ峰14:10--14:45肩ノ小屋15:10--16:00テント場
快晴

5時起床で朝食のラーメンを食べた。7時過ぎに伊東とテント場で合流し、田中と合流する方法を協議した。その結果8時45分まで停滞し、肩ノ小屋での合流を目指して先発した。
シールをつけて金山がラッセルし、肩ノ小屋の直前の休憩地点で後ろから来た田中と合流した。田中は前日の夜中12時頃に休暇村に到着し、朝5時前から歩いてきたのだという。この時点で、岸は前日の寝不足からスピードがあまり出なかった。また、この休憩地点で各自クトーを装着し、歩行練習を行った。
肩ノ小屋で昼食をとり、アイゼンを装着。スキー板、スコップ、ストックはここにデポした。岸はここで、剣ヶ峰往復は見合わせる判断をした。
剣ヶ峰までの斜面は、これまでと違って凍結した斜面を登った。アイゼンの不調を感じる者が多かった。特に塚本は引き返して岸からアイゼンを借り、白石は下りの時にもアイゼンが上手くはまらなかった。
快晴の青空の下、剣ヶ峰からは素晴らしい眺望が得られた。御嶽山穂高連峰、白山などが一望できた。記念撮影などを済ませ、来た道を引き返した。
肩ノ小屋からスキーを装着した。現役はスキーを始めてから日が浅く、白石がスキーを滑らせ数メートル下方に流してしまうなど、不慣れな扱いが目立った。スキーで滑る際は、順番を決めて滑った。伊東、松本、金山、伏見、土井、白石、津田、澤田、塚本、岸、田中の順であった。位ヶ原から位ヶ原山荘までの斜面で転んだり、苦労した者が多かった。
テント場に戻ってからは各テントで水作りと夕食準備を行い、夕食を食べて寝た。メニューはシチューの予定であったが、伏見が材料を部室に忘れたため、急遽豚汁に変更された。

4. 12月26日
旧テント場7:15--8:05クトー装着8:30--8:37滑降準備8:55--9:50旧テント場10:20--新テント場探し--天幕移動--イグルー作り
雪、上部は風強し

起床は5時で、ラーメンを食べた。7時過ぎに伊東と合流し、スキー練習の日が始まった。
まず、金山のリードでテント場と山荘の間にある橋から鶴ヶ沢右岸を登った。登れば登るほど風が強くなった。急斜面のトラバースの途中で、津田が落下した。幸い、斜面に生えていたダケカンバで止まり、伊東が手伝って本隊の後ろから追うことになった。このトラバースの後、また一つ斜面をトラバースし、緩傾斜の沢地形で休憩をとってクトーをつけた。そして7分程この沢を上がった地点からスキーで下りることになった。滑走開始地点は2,550 m付近であり、濃霧の中ホワイトアウト状態で滑るのは危険なため、引き返すことになった。
スキーでゆっくりと一時間ほど下り、再び山荘付近の橋に戻った。テント場で昼食をとった後、ワカンを履いてテント場探しに出発した。バス道から5分程登った針葉樹に囲まれた場所を選び、元のテント場を撤収して荷揚げした。荷揚げの最中に松本のビンディングが壊れ、滑走モードに切り替えることができなくなってしまった。また、1年の澤田、伏見、松本が靴ズレを起こした。いずれも靴のサイズが小さいようであった。
設営の後は伊東が主導してイグルー作りとなった。皆で雪を切り出し、高さ約2メートルのイグルーが出来上がった。この日の夜から、金山がこの中で寝た。
テント割も天幕移動に合わせて変更された。ゴアライトに土井、松本、ステラリッジに塚本、伏見、V6に金山、津田、澤田、白石が入った。この日から岸は山荘に泊まることになり、岸の個人テントに田中が入った。イグルー作りの後はゴアライトとV6で水作りとシチューの調理を行った。

5. 12月27日
テント場7:00--テント場西側斜面で各種雪山訓練--13:30位ヶ原山荘14:45--テント場
雪時々晴れ

5時起床でラーメンを食べた。7時頃、伊東と岸がテント場に到着し、テント場の西側斜面で各種雪山の訓練を行った。
まず、田中が中心に弱層テストの解説を行った。1年を中心に実際に雪柱を作った。この際、澤田と白石が作った柱は大きすぎ、田中に10分以内に迅速に作れるものでないといけない、と指導されていた。この時の雪では、4つから5つ程の層が見られた。特に、前日降ったかなりの雪層は顕著であった。
次に、雪崩で生き埋めになった状況を想定した訓練を行った。弱層テストで削った雪を利用して、まず初めに1年が雪に埋められた。エアーポケットを確保したにも関わらず、大声で助けを呼んだりするとすぐに苦しくなる、という感想を持つ者が多かった。2年も全員雪に埋まり、プローブで人を刺す感覚も学んだ。
生き埋めの後はビーコン探しを行った。2グループに分かれて、3つのビーコンを探し当てるという形式を採った。まず初めに金山、津田、澤田、白石のグループが探した。このグループは4人がそれぞれ別の方向に向かって歩き、発見した者が一人で掘り出すというように探していた。結局、9分ですべてのビーコンを探し当てた。他方、塚本、土井、伏見、松本のグループは塚本を中心に探し、発見したら4人が集まって掘るという形だった。このグループは14分で3つのビーコンを見つけた。田中の講評として、4人で掘る必要はないが、コミュニケーションを密に取りながら捜索を行うのが望ましいということだった。
テント付近で休憩してからはスタンディング・アックス・ビレイの練習だった。これは、先ほどのグループ分けから金山と土井を入れ替えて行った。3ピッチ登って下降した。まず2年が模範として実際に示して、その後1年が行った。肩がらみの方向などで混乱が見られたが、OBが回りながら指導をした。
午後はスキーで位ヶ原山荘まで下って、休養に充てられた。お汁粉をいただき、乾燥室も使わせてもらった。ビンディングが壊れていた松本は、この時に岸のスキーと松本の靴を合わせた。
テントに戻ってからは夕食のカレーを作って食べて寝た。夜は猛烈に冷え込み、強風が吹き荒れた。

6. 12月28日
テント場9:00--10:00冷泉小屋12:00--12:35位ヶ原山荘14:40--テント場
吹雪

5時起床でラーメンを食べた。6時50分頃出発準備をしていると、田中の携帯電話に岸から電話が入り、強風と雪のため2時間待機することが伝えられた。各テントで時間を潰し、9時頃に橋付近で伊東と合流した。松本は足がむくんでスキー靴に入らず、テントで待機することになった。スキーを松本に貸していた岸も位ヶ原山荘で待機した。
夏道を通って冷泉小屋まで下り、東側斜面をゲレンデにしてスキー練習をした。前夜の新雪は昨日と比べてかなり重たく、滑走に苦労した。20メートル程滑っては登るのを繰り返し、シュテムボーゲンなどの練習を行った。
12時頃に来た道を引き返し始めた。途中で白石の靴と板が外れ、さらにシールも外れて手間取った。山荘に着いてからは、登山靴を持っている塚本と土井がテント場に戻り松本を呼びに行き、他のメンバーは山荘に入って休んだ。ここでもお汁粉をいただき、暖をとった。
時間を見てテント場に戻り、夕食の豚汁を作って食べて寝た。冬山合宿最後の夜とあって、各テントとも夕食の席は盛り上がっていた。寒さは相変わらずだったが、風は昨晩よりも収まっていた。

7. 12月29日
テント場8:30--8:40位ヶ原山荘--8:55冷泉小屋9:00--9:50休憩10:00--11:00休憩11:20--11:45ゲレンデ--12:30休暇村14:10--14:20鈴蘭14:40--14:50カフェレストランふきのとう15:45--分倍河原
晴れ

5時起床でラーメンを食べた。8時を目標に撤収したが、スキーの不得手もあり結局目標時刻に間に合わなかった。
位ヶ原山荘からは、塚本と伏見が先行してラッセルした。冷泉小屋の辺りで後発隊が追いつき、ラッセルを適宜交代しながら進んだ。以降はバス道を下り、三本滝上部の沢を渡る付近では雪崩に注意して進んだ。その後はすぐにゲレンデに到着し、皆から歓声が生まれた。
しかし、ここからゲレンデの下りも一苦労だった。まずは斜滑降とキックターンで滑った。その後ボーゲンに切り替えながら、長いゲレンデを休暇村駐車場まで下った。
その後、各車ごとに荷物を整理し、休暇村の温泉に入った。風呂から上がった後は一旦鈴蘭に寄ったが、メープルが開いていなかったため、少し下ったところにある、ふきのとうという名のレストランに入った。そこでの食事を済ませて東京、大阪の各方面に帰った。年末だったため東京方面は渋滞に巻き込まれなかったが、大阪方面は渋滞につかまった。