0408北鎌尾根~2~

0408北鎌尾根(続き)


8月5日
起床(4:30)テント場発(6:25)~北鎌平(6:55)~槍穂基部(7:42)~槍ヶ岳(8:55)~槍の肩(9:20~9:40)~上高地(17:00)=沢渡=鉄驪荘(泊) 6日帰京

朝、槍の穂先に日があたる。こういう景色も今回が初めて、大槍と小槍の他にも2つ、尖峰が見える。朝食はおじや、少しだけ食べられる。テント場からガラガラの岩場を登って稜線へ、出たところはP15の先、そこから槍の方へ下りたコルにテント場がある。いいプラッツだが風が強そうだ。さらにコルから一段登ったところが北鎌平で、振り返ると目の前にP15が大きく、その先右手に独標も立派な姿を見せている。ここから先は勝手知ったるルート、ガラガラの岩場を登り、最初のチムニーは内田トップ、片岡、益崎と登る間に伊東は右の階段状の岩場を登って時間を節約。2段目のチムニーも敬遠して右側の岩場を登り、その上は左に踏み跡を辿って頂上の祠に飛び出した。頂上に出た時、いつも大勢いるはずの登山者がまったくいない。しばらくして若者が一人登って来たが、なんだか妙に静かな槍だった。肩への下りも人がいないので渋滞なし、肩の小屋の周囲も人が少なかった。小屋でホットミルク500円、トマト1個300円、弱った胃には最高のご馳走だった。一休みして槍沢へ、上高地まではまだまだ長い。槍沢は高山植物の花盛り、イワギキョウ、トリカブトハクサンフウロヨツバシオガマ、アズマギク、シナノキンバイアキノキリンソウなど、シシウドの大きな花が目立つ。横尾でアイスクリームを食べ、少しカロリー補給。途中、新村橋を渡って梓川右岸の道を通ってみる。まっ平らな車道で歩きやすいが、景色も何も見えない、人もいない、単調そのもの、時間的には早いというがみんなには不評だった。明神でもとの左岸に戻り、上高地着は夕方の5時。横尾でアルピコに電話を入れておいたのでタクシーが待っていた。沢渡の営業所で車を受け取り、沢渡大橋のそばにある日帰り温泉で汗を流し、内田氏を新島々駅に送ったあと、残り3人は長坂町の浜野山荘、鉄驪荘へ。1泊、ご夫妻の歓待を受け、翌日片岡は新潟の仕事先へ、益崎・伊東はガラ空きの中央道をのんびり帰京した。
3年連続の北鎌尾根、山行そのものは天気に恵まれ、ほぼ予定通りで、まずまずうまくいったと言えるが、個人的には色々問題、反省点が多い山行だった。まず、大腸ポリープ後遺症による体力低下が予想以上に大きかったこと。わずか1週間の安静だったが足腰の筋肉に加えて腹筋、背筋も落ちてしまって、2週間のリハビリでは回復していなかった。歩き出してすぐ自覚があり、出来るだけ消耗しないように気をつけていたのだが、肝心の核心部で疲労してしまった。またこれで3年連続北鎌の稜線上で胃炎になった。ストレス性か、高度、疲労の問題もあるかも知れないが、最大の原因はプレッシャーのようだ、山から下りたら嘘のようにケロリと治ってしまったのだから。それにしても3回目でルートも状態も分かっているところにもかかわらず、同じような重圧がかかるというのはどうしてか。今回は体力低下の心配がストレスを強めたかも知れない。胃の具合が悪いので物が食べられず、エネルギー補給が出来なくなってバテを加重することになった。独標の登り以降は暑さもあって全く食欲がなくなった。のどだけが渇いてしかたがなかったが、水を飲みすぎると余計に胃を荒らすと思い、最小限にして我慢したのだが、逆に水分不足で半ば熱中症気味であった。いずれにせよ核心部でリードすべき立場にありながら、疲労困憊のため、トップを内田氏に頼まざるを得ない状態で、これではリーダーとは言い難い。パートナーに心配をかけたり、迷惑をかけてしまって申し訳なかった。3回目の今回が最も疲労度が大きかったこともあり、完走はしたものの、今回も北鎌尾根をクリヤーしたとはとても言えない気分だ。・・・とは言え、さすがにもう一度行こうという気にはならない、まあ北鎌はこれで終わりにしようと思う。