蓼科 秋
1961年10月
参加者 河合雅治 伊東 毅
10月8日
新宿(23:45)=茅野(5:50~8:00)=池の平(9:00)~寮(10:00)
茅野で野菜を仕入れたため遅くなった。紅葉はまだ早い、白樺湖から間道を行く。寮について昼食、先輩たちがいたが今日帰る。午後八重原せんぎ方面へキノコ狩り、今年は栗、胡桃が少ない。箕輪平でナラタケ収穫。2年生の男子5名が2寮に入る。夜はすき焼き。
10月9日
夢の平、夢の続き、竜ヶ峰三角点、平和の谷、赤沼探索。台風が近づいているそうだが、2年生の女子が4人やってきた。牧場に新道2本工事中、蓼科ハイウエイだとか、ショック。夢も水出も蹂躙されるそうだ。御泉水から夢へ、夢で昼食の1、雨が降り出したが大したことはない。竜の三角点にはやぐら残存、夢の続きを発見、竜の尾根から左側、平和の谷に下降、二牧の一部でいいところ、新緑のころに来たいもの。ここに寮からくる道はしっかりついている。帰り、赤沼に寄る、陰気臭いところだ。雨の中寮に戻ると、68回の森さんがいて、同部屋になった。
10月10日
台風24号、本土襲来、終日沈殿、森氏帰る。
10月11日
出発(11:00)~新道(11:12)~牧柵(11:35)~幻平(12:00~12:15)~焼野(12:35)~水出(12:45~13:45)~道標山の神?(14:40)~独標(14:55~15:05)~車道(15:10)~浅田切(16:00)~帰寮(17:15)
ようやくあがった。こたつにあたっていると、たるんでしまって出たくなくなってしまう。カロムなどして10時過ぎになってしまった。今日もまた河合のサブに諸々放り込んで外に出たが、そこでまた卓球をしたので、またまた遅くなってしまった。
門柱から正面に蓼科山がよく見える。桐陰平が広がって美しい。この奥に新道が通っていると思うと幻滅だが。今日は協和牧場跡付近を歩くつもりだが、牧場をまた通るよりも、新道を見ようかと思って、桐陰平の中に入っていく。入口に下駄を打ち付けた道標があった。平にはキノコ採りの人が入っていた。
今まで気づかなかったが、この桐陰平は広く、白樺が美しい。塩沢せんぎを渡って新道に出る。ここは平の最奥の地点で、川が正面から流れ出て、平の右ふちの方を流れている。この新道を左に行けば牧場に出るのだが、それより正面の沢の方が面白そう。地図では御泉水のとなりの湿原記号から出るものらしく、興味があるので、入ってみることにする。
沢は暗く、両岸は狭まっているが、特別悪い沢相も見せず、平らな岩が積み重なった沢である。一つぐらい滝があると面白いと思ったが、そんな気配はなかった。最初は露出した岩がごろごろしていたが、少し登っていくと、岩に苔がついて、だんだん多くなり、沢全体を覆うようになる。見事な苔で、実に柔らかい感じがする。道はあるようにも見えたが、沢通し行く。道はあったとしても途中までか、上の方はまったくなかった。支沢を持たないこの沢も少しずつ水量を減じてくる。それにともなって、両岸からおおいかぶさる灌木の枝やいばらの枝が密になってきた。遊び半分でナタを振る。途中で有刺鉄線の柵に出会う。二番目のを過ぎて少し行くと、水は伏流になり、やぶがきついので、左手の斜面を登っていく。馬糞がそこここにある、牧場の続きだろうか。
ここから少し明るくなって、ゆるやかな斜面が奥庭的になってきた。このへんもいいところだが、、さらに前方が明るくなったと思ったら、そこに素晴らしい草原が広がっていた。再び現れた水は真ん中を流れ、緑の草と灌木、そして周りは美しいカラマツ林。左手の高みの石に座れば、蓼科山が中央に優美な姿で立っている。左に前掛山への尾根を伸ばし、将軍への登山道あたりが美しい。こんなに立派な蓼科山は初めて、こんないいところが今まで知られていなかったとは、不思議、感激である。
それでちょっと安直だが、通ってきた沢を苔沢、ここを幻平と呼ぶことにした。夢などは問題じゃない、それこそ夢心地で山を眺めていた。寮から1時間、小遠足にちょうど良い距離、道がなくて沢通しというのが一年生にはちょっと辛いかな。でもそこがいいところでもある。一日中ここで寝転んでいたかったが、今日はいろいろ行きたいところがあるので、とりあえずここを後にする。
平は長細く、上部には白樺のすごい純林、、その上にもまた平地があって、ここは少し暗く落ち着いた感じの奥庭になっていた。幻から水出へ直線コースをとる。水流は右、左側の斜面、苔多く湿っている。上部には白樺と石楠花、開花期に来たいものだ。明るいところへ出たと思ったら、そこは焼野の一角、振り返ると素晴らしい眺め、このコースは一級品である。登山道に合してすぐ水出、ここの林でしめじのみごとな群落を発見、飯盒に半分ほどの収穫、これで夜のおかずが出来た。
水出から山の神への道はまったく分からない。水出からそのまま山腹を行こうと思ったが、石楠花の藪に手もなく追い返された。沢を下って道を探すが、荒れていて発見できない。いいかげんなところで、右の山腹に入る。退却用のナタ目を打って、道を探しながら進む。しばらく行ったところで、踏み跡としてはっきり分かるのが現れた。どうやら我々の通ってきたあたりが道らしい。少なからずホッとしたが、この一年ぐらいは歩いた人もないような感じで、またどこで途切れることやら。案の定、一つ山鼻を回ったところで、ものすごい倒木帯が現れ、山肌が荒れて踏み跡が消えた。ナタ目をつけながら倒木をくぐり、またぎ、障害物競走。また沢に出るが、対岸も荒れている。大体コンターを描くように進み、いいかげん林の中を行くと、小笹が現れ、またまた踏み跡を発見した。これを辿ってついに前掛の尾根に出た。道標があった、山の神らしいが字が読めない。
大分苦戦だったが、時間が遅いので先を急ぐ。尾根筋をどんどん下る。右下に飯場あり、また新道あり、延長工事中。慨嘆しつつ、走るように下る。クマザサに道は隠れ、ズボンが濡れる、ガスも出てくる。独標付近で休む、この辺は旧協和牧場の入口、少し下ると新道に出た。左に新道を行くと、後ろからライトバンが来た。乗せてもらったが、どこへいくのかは分からない。雨境の下に行くというから大丈夫と思ったのだが、これがまずいことになった。唐沢側をどんどん下っていく。地図に載ってない道だから、もうわからない、もう運ちゃんに任せた。
ずいぶん走って降ろされたところは、割と大きな部落があるところで、浅田切という停留所の標識があった。運ちゃんにお教えられた通り、雨境への道を行く白樺湖まで16km、寮には行き先を告げてないので、心配かけると思い、気が気でない。一生懸命歩く、スピードをゆるめず、マラソンのつもりになった。
しかし我々はついていた。後ろから砕石を積んだトラックが来て乗せてくれた。雨境峠下まで。まだ先は長い、また歩く、停留所一つ分歩いたところで、また後ろから、今度は小型トラックが来た。助かった、ブラボー!牧場まで乗せてもらう。どうやら暗くなる前に帰れた。本当についていた、ライトも持っていなかったし、まったく心細かったが、タイミングよく車が来てくれた。
出発が遅すぎ、しめじ採りで時間を食い、倒木のために時間がかかり、あの最初のライトバンに乗って下まで行ってしまったことなど、誤算が重なったが運がよかった。
晩飯はしめじのおつゆ、豪華版、うまかった。
10月12日
退寮(10:00)~池の平(10:40~11:40)=茅野(12:55~12:57)=新宿(18:54)
2年男子、女子、我々の順に退寮、炊事場のこたつで雑記帳に5日間の行動をかきつける。また訪う日はいつか、また幻に行きたい。バス道を行く。茅野で先に出た2年女子と一緒になる。汽車はすいていた。楽しかった、相棒もよかった。また行こう。