八ヶ岳 積雪期

八ヶ岳 積雪期

 

1962年3月

 

参加者   島田富夫  伊東 毅

 

3月14日~15日

新宿発(23:45)=茅野(5:48~6:15)=八ヶ岳農場(7:15~8:00)~柳川(8:45~8:55)~美濃戸(9:25~9:50)~赤岳鉱泉旧館(12:15~12:35)~赤岳鉱泉(12:40)

 

 最近、汽車に乗るたびに腹が不調になる。3等寝台で眠る。上の座席のいびきに悩まされる。茅野では雨が降っていたが、バスが進むにうちに雪になる。農場付近の風景はやけに蓼としていた。桑畑と、麦の青い列が黒い土に印象的だ。農場では雪が降りしきり、気分が高まるが、やはり、どうも面白くない。

 今年は御柱祭にあたっていて、路傍に御柱用の材木が転がっていた。朝飯に駅弁を食べて出るが、1年ぶりの出陣なので、ゆっくりしたペースで歩く。柳川に出合うあたりで雪激しく、帽子に積もるが、美濃戸近くではみぞれから雨に変わる。ひどい天気だ。美濃戸あたりまではコースタイムより速かったが、だんだん腹がすくのかばててくる。鉱泉を目前にして、まったく苦しい思いをした。

 行者まで行くつもりだったが、鉱泉のおばさんに勧められて、こっちも疲れていたので、鉱泉をベースにすることにした。こたつに入って濡れた衣類を替える。島田が甲武信で会ったとかいう人と相部屋になる。ふとんもあるけれど、シュラフを使う。初使用、大きくて快適である。

 

 

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積雪期八ヶ岳ルート

3月16日

 

 風が強く曇り、時々横岳の壁が姿を現すが、下から見る大同心も素晴らしい。天候が思わしくないが、回復を期待して、行者まで行って様子を見ようと出かける。樹林帯では風がない。アイゼンを着けたまま、オーバーシューズがないので足が心配だったが、動いていれば足も暖まってくれる。行者まで行ったが、今日は行動している人はいない。ラッセルの跡もないので、ここで引き返す。阿弥陀が時折、姿を見せるがこの登りは相当急だ。赤岳も雪がついて凄みを増している。

 帰りはワカンに履き替える。ワカンを履くのは初めてだが、それほど歩きにくくはない。乗越を過ぎたあたりで雪の斜面をみつけて、雪洞を掘ってみた。スコップがないので、ピッケルで掘る。雪は予想外に厚く、固くしまっていて、かなり大きく掘れる。相当な労働を強いられたが、ずいぶん立派なのが出来た。2人並んで入れる。ズボンが濡れて冷たかったが、面白かった。中で紅茶をいれ、チョコレートを食べる。中にいると暖かく、ツエルトでもあれば十分居住出来そうだ。記念撮影してから鉱泉に戻る。

 小屋で昼飯を食べてからは沈殿。昨日の相客が出て行った代わりに、女の人が相部屋になる。佐宗さんという、山は大学での5年だそうで、経験豊富で山ズレした感じがする。気安そうな感じで、夜までいろんな話をした。明日は晴れて欲しいが、降ったらどうするか決断がつかない。

 

3月17日

起床(6:30) 鉱泉発(9:10)~小休3回~硫黄岳(13:30)~夏沢峠(13:55~15:15)~本沢温泉(16:05)

 

 今日もまた天気がよくない。少し青空が見えたが、横岳はガスがまいて、がっかりさせられる。我々の装備と力では、この中を登攀するのは無理なので断念。それに佐宗さんと北八ッに入るのも面白かろうと、そちらに決定する。赤岳、阿弥陀、横岳は卒業式がすんでから、また来て雪辱戦ということに。

 キスリング背負ってなので、少々つらいかも知れないが、北八ッの天狗が魅力的だった。真夏の焼ける岩の思い出、ミカブリから天狗の稜線に雪煙が舞うことを思うと、心が躍った。3人で交代にラッセルしていくが、トレールがはっきりしなくて、再三ならず、ナタ目探しに時間をとられる。

 ラッセルはワカンは着けず、アイゼンだけ、大体膝までで、時に腿まで来ることもあった。ずいぶん時間がたつが、なかなか樹林帯を出ない。細かく休んでいるだけだったが、あまり疲れは感じない。上に行くほどトレールが分かりにくくなる。木がまばらになって、ようやく稜線近しを思わせるが、なかなか出ない。

 我々のラッセルを追ってきたサブザックのパーティーに追いつかれてしまった。でも、もう稜線は近いし、ここで抜かれるのはしゃくだから、頑張る。最後の斜面は表層雪崩の危険もあるようなところなので、見当つけて直登する。雪は腰まで、最後はトップで全身ラッセル、ピッケルを叩き込んで一歩上げの繰り返し、ゆっくりやると、空回りになるので速いピッチ、息が切れるが、ファイトで乗り切った。最後は小規模ながら雪庇状になっていた。

 稜線、赤岩の頭に出ると、風をまともに食らう、でも足は全然もぐらないので疲労度はまるで違う。そのまま稜線を辿り、硫黄の頂上へ。ついに本日の一番乗り、楽しかった。頂上は強風が荒れ狂っていて、何も見えない。エビのしっぽが発達している。

岩の露出した道を夏沢峠に向かう。火口壁には近づきたくないので、左加減にルートをとるが、風に向かうのでまつげが凍った。島田の手首が露出していたので凍傷になったのもここだ。夏沢峠の小屋には、雪が吹き込んで、先日会った人が泊まっていた。

 昼飯に焚火をしようとしたが、燃えつかなかった。シャーベット化したみかんを食べる。パンはのどを通りそうもない。意外に時間がかかってしまったので、今日は本沢に下りることにする。ミカブリのラッセルはトレールなしでは苦しいだろう。残念だがしかたがない。

 樹林帯の急坂、2年半前の記憶は定かでない。硫化水素の臭いが鼻をつく。本沢に着いて、誰もいないようだったが、いろいろと用意を始めたところに、下の方にいたのか、番人が一杯機嫌でやってきた。この番人はあってなきがごときもので、よくしゃべるが、飯炊きは下手だし、どうも気に入らなかった。少し疲れたようで、今日はこたつで眠ることにした。

 

3月18日

起床(5:30) 本沢発(7:55)~稲子小屋(9:20~9:30)~海尻(10:35~11:15)=小淵沢(12:38~

13:57)=新宿(18:54)

 

 朝早く起きて、炊事場のいろりに行って飯を食う。同行してきた佐宗さんは茅野に用があって、早く行かなければならないとかで、先に出て行った。パッキングして出発、佐宗さんのトレールを追う。下りるとなると天気がよくなる、まったくしゃくの種だ。どんどん下る。ザックも軽くなって、足もどうやら、かつての調子に戻りつつあった。  

 勢いに乗ってどんどん飛ばす。稲子小屋まで平均時速7km。裾野の原は黄色と茶色のみ、他の色はなく荒涼とした感じ。佐久の空は青かった。稲子の部落は明るく、麓という感じそのものだった。海尻に回り小海線、小諸回りの列車もあったが、小淵沢の方のに乗る。

 小海線からの八ッはすばらしかった。あんなにきれいな山はみたことがない。いつまで見ていても見飽きない、胸にジーンとくるものがあった。どうにか、また帰ってきた。この山でいろいろなことを経験した。一年ぶりに、また山が始まったんだという気持ち。

再開の第一歩として、今度の山に満足したい。

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補遺

 

赤岳鉱泉で会って翌日行をともにした佐宗さんというのは、多分佐宗ルミエという、田部井淳子のパートナーとして穂高、屏風などを登攀し、その後一ノ倉で遭難死した人ではないかと思われる。佐宗という名前が珍しいのと、女流登山家として名前が残っており、遭難した時のニュースを耳にした記憶がある。写真もあり、見た感じ似ているように思えるが、記憶は定かではない。