1608~09 西穂から焼岳

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1608~09 西穂から焼岳
 
西穂から焼岳計画は日本海から乗鞍までのトレースの一環として2年前の秋に計画したが、出発直前に御嶽の噴火災害が起き、ここで活火山登山は何かと問題あるだろうと取りやめにしたもの。また今年、立山~薬師縦走を学生時代の夏山で行きそこなった木邨、益崎に加え大谷の3人で予定していたのだが、またしても台風10号接近のため、中止のやむなきに至り、台風通過後、日程の短い西穂~焼岳の本計画が浮上し、伊東も加わって4人、2泊3日のゆっくりめの計画となった。

参加者  木邨光宏  益崎健二郎  大谷尚史  伊東 毅

8月31日 府中本町(7:00)=国立府中IC=松本IC=平湯よしもとそば=鍋平駐車場(12:30~12:55)=ロープウエー上駅(14:00)~西穂山荘(15:30))

 伊東車に4人、台風一過で晴れ上がった空の下、交代で運転しながら平湯バスターミナルへ、横の蕎麦屋?よしもとで昼食、4人とももりそば。新穂高は登山者用無料駐車場が限られているので事前に調べた結果、ロープウエー中間駅の鍋平駐車場が帰りの中尾峠からも便利そうなので、そちらへ向かう。ロープウエー駅までは20分くらい歩くが、下の河原の駐車場も同じくらい歩かされるし、下のロープウエー代が省略出来る分得だ。台風直後、平日だし、夏休みも終わって駐車場はガラガラ、一番上のロープウエー駅に近いところにとめられた。木陰の道を駅に向かったがタイミング悪く、ちょうど出たところ、30分待たされる。ザック代こみ1700円、観光客も少なく、空いていた。空気が澄んで、錫杖、笠、抜戸の稜線が鮮明に見える。ロープウエー上駅から千石尾根、多少アップダウンあるが、1ピッチとちょっとで西穂山荘到着。テント組もいて、そこそこ賑わっている。部屋は普通に8人入るところに我々4人ともう2人、まあ余裕がある。時間が早いのでラウンジで生ビール、伊東は1杯、3人はさらにウイスキーや焼酎など。夕食は5時から、1ラウンドだが食堂満員。相部屋の2人は中高年だが我々より若い、奥穂まで行くと言って、翌朝暗いうちに出て行った。

9月1日 西穂山荘(6:20)~2181m(7:05~7:20)~割谷山手前(9:20~8:35)~昼食30分~焼岳小屋(10:35~11:10))~2280m(12:00~12:20)~焼岳北峰(12:40~13:05)~焼岳小屋(14:15)

 朝食は5時、ゆっくり準備して出発、今日もいい天気、小屋のすぐ下で上高地への道と分かれ、中尾峠まで樹林帯の尾根、幅が広くなったり、二重山稜のようになったり、途中にキヌガサの池ともう一つ池があった。この道を焼岳方面に行く人はあまりいないようで静かな尾根歩きだが、全体に水はけが悪く、ところどころぬかるみになって歩きにくい。割谷山は飛騨側を捲いているが急な斜面に岩場があったりして、いやらしいところもある。ところどころ樹林が切れると飛騨側は笠から双六の稜線、信州側は上高地が目の下、大正池が土砂の流入のためかずいぶん細く、狭くなっているように見える。昼食休憩30分こみ4時間で中尾峠、焼岳小屋に到着。今晩の宿泊を確認、小屋は1階が食堂になる畳の部屋と厨房など、2階と言っても屋根裏が寝室、すでに布団が敷いてある。2階への上がり下りは垂直の梯子、実にコンパクトに出来ている。もともと安曇村営(今は松本市営)で管理人と若い男女2人の手伝いでやっているようだ。小屋の前で休んでいたら突然中年のおばさん(失礼)が表れて木邨に「なに、なによ!」と声をかけてきた。なんと木邨の実の妹さん、昨日夜行バスで来て中の湯から焼岳を越えて上高地へ下りるのだという。もう一人友達を案内してきたとかで元気なこと、木邨もこちらもびっくり仰天、言葉も出ない、(山の)世間も狭い、こういうこともあるのか、と感心した次第。さて要らない荷物を外してザックを軽くして焼岳北峰往復に向かう。小屋から一段上がると草地の見晴らしのいい台地、大きな岩(溶岩)があって近くで湯気が出ている。そこを下ったところが旧中尾峠、目の前が焼岳、昭和37年の噴火で小屋が飛ばされ、ひと山後ろの現在地に作りなおしたということだ。ここからは赤茶けた溶岩の斜面を登って行って北峰の溶岩ドームの岸壁下を左に回り込んで行く。上からも下からも登山者が多い、上高地の目の前で百名山、登れる活火山ということで人気が高いようだ。中に外人の姿も見られ、北峰の頂上で写真を撮ってくれと声をかけてきた女の子はドイツから来た千葉大留学生、一人で元気に駆け下りて行った。北峰の足元からは火山ガスが盛んに噴き出していて、対岸の南峰は現在立ち入り禁止、間のカルデラにはエメラルド色の火口湖が見え隠れしている。下る途中、何やら地面の穴に観測機器を取り付けている人たちがいる。電磁気(?)を測って地中の状態を調べるのだそうだ。京大の防災研の研究者たち、焼岳小屋に戻ったら、みんなこの小屋に泊まっているのだそうで、小さい小屋が満杯らしい。水もない電気もない、こんな清潔とは言えない小屋に泊まる人は少ないだろうと思っていたのが当てが外れた。夕食は6時から、まだ早いのでビール、冷蔵庫がないのであまり冷えてないが、木邨が下の方で少し水に浸かっている缶を選んでもらってきた。1階の食堂がリビング、隅に陣取って例によって一杯やってると、単独の若者が着いてテントを張れないかと言っている。ここは水場もなし、指定地ではない、最も近いテント場は小梨平、今からでは日が暮れる、それでも行くかと言われていたが、やむを得ず小屋に泊まることになって、一人客が増えた。このほかの登山客は町田の山の同好会のおばちゃん4人と中高年のよくしゃべるおじさんが1人、あとは防災研とその手伝いの作業員合わせて20人ほど、我々も入れて全部で30人ほど、まあそんなに窮屈な思いはしないで済んだ。

9月2日 焼岳小屋(7:40)~1800m(8:30~8:40)~登山口(10:25~10:35)~鍋平駐車場(11:50)=新穂高の湯=平湯よしもと=松本IC=国立府中IC=府中本町解散
 今日も良い天気、小屋の前から見える焼岳がモルゲンロートに染まった。朝食は6時、キジ場は外別棟だが一応腰掛式。今日は下るだけだからゆっくり出発、飛騨側に下りる人はいない、樹林帯のわりあい急な道。標高差は950m、天然林で大きな立派な木が多い。途中で左側に白水谷の白水の滝が見える。いかにも火山らしい赤茶けた岩肌を削って落ちている。金曜日、週末にかかるから時々登ってくる人はいるが少ない。割り谷の橋を渡ったところから舗装された道。地熱発電や温泉が出ているところを通って中尾高原の温泉街に入るところで右折、鍋平へ向かうトラバリ道、新しい立派な道、外ヶ谷にかかる立派な北アルプス大橋から少し登ると鍋平の駐車場が見えてくる。駐車場は大分車が増えていた。やれやれご苦労様、まずは温泉、ここから蒲田川へ下りたところの新穂高の湯、河原の露天風呂で無人、料金は寸志。その代りお湯に入るだけ洗い場はない。岩で囲った湯船に小砂が敷いてある。上は適温だが下はぬるい。新人の夏山で下りてきて入ったのがこの湯だったかも知れない。開放的で橋の上からまる見え、女性は入りにくいかと思ったら、我々が出てから外人の男女が入っていった。そういう時代になったのかな。昼食はまた平湯のよしもと、今度はみんなかつどん。帰りも3人で交代して運転、中央道も空いていた。
 北峰と南峰の間があいているが、これで中の湯まで一応つながった。あとは安房山まではともかく、その先の十石山、金山岩、桔梗ケ原までが難物だ。残雪期に十石山の避難小屋を利用していけるかどうか。