1901鉄驪荘新年会 斑山

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1901鉄驪荘新年会 斑山

恒例の鉄驪荘、浜野さんを偲ぶ新年会と軽登山、鉄驪荘に近く、茅が岳と金峰山の手前の斑山(マンドリヤマ)1115m

参加者
木邨光宏  大谷尚史  藤原国生  益崎健二郎  片岡ひとみ  伊東 毅
 
1月26日
伊東車(藤原・益崎)矢野口駅(6:30)=穴山駅=須玉ローソン(大谷車合流)=多麻トンネル
大谷車(木邨)東京駅(6:30)
多麻トンネル北P(9:40)~尾根分岐885m(10:30)~昼食ピーク(11:10~11:40)~斑山頂上
(11:55~12:00)~小沢渡る(13:00)~車道(13:15)~P(13:40)

 4時12分大谷からおはようメールで起こされた。矢野口駅でフジクニ、益崎合流、談合坂で休憩、充電。大谷、木邨もいったん合流した。甲府盆地に入って、いい天気だが寒気が入って南アの稜線は雲の中、八ツは雪を冠ってきれいに見える。須玉で下りて穴山駅にはちょっと遅れて8時45分ごろ着、片岡合流、須玉インター出口のローソンで全員集合。買い物、トイレをすまして、増冨へ行く道に入り、多麻トンネルを抜けて、左側、細い道路が合流しているところに2台分の駐車スペースがあった。すぐ向かいの尾根筋から登り始める。くぬぎと赤松が多く、マツタケが出るのでシーズンは入山禁止とか。下生えがなく枯葉の斜面、どこでも歩けるが踏み跡が多い。ただ北風が冷たく、ダウンを着てマスクをするが鼻水が止まらない。北東に向かう尾根は左から風が来るので、885mの尾根分岐で東側に回るとホッとする。東側に雪を冠った金峰と瑞牆が見えるが、雪雲に隠れたり、現れたり。2ピッチで祠のあるピークに着く、狼煙台かな、でも何もない、表示もない。11時なので、風影で昼飯、コンビニおにぎりと大谷のスープなど。斑山頂上は細い尾根を30mほど下って登り返す。1115m、赤錆びたトタン小屋とTVアンテナ、かつての共聴施設の残骸。ここで元来た道を引き返すかと思ったが、木邨が北西に回るルートを下りようと言うので、それも面白いと、北側の尾根を下りていく。ネットには下津金に下りた記録があったが、下りてから車道歩きが長いので、途中から西側の尾根に入る。下生えがないし、見通しがいいので、どこを歩いてもいい。GPSもあるし、傾斜が急にならないところを下りて、上小倉集落の北の小さな沢に出た。マツタケ採り禁止の板がたくさんぶら下がっているところ、ここも入山口かな。かつて車道だったような広い道(地図に載っている)を通って須玉大橋の北側の車道に出た。そこから多麻トンネルまでは1キロほど、雪がちらつく中をぶらぶら歩いて車に戻る。13時40分、予定通り。須玉大橋を渡って高根の湯、冷えた身体を温める。きららによって買い物、豚しゃぶの材料を調達、鉄驪荘へは西側、池の横を通る新しい道が出来ていた。アキちゃんが来ていた。奥さんの車をやめさせたのだそうだ。新年会はビールで乾杯、スパークリングワイン、ワイン、日本酒、紹興酒など。テニス全豪オープン決勝、大坂なおみを見ながら、みんな大興奮。益さんのさつまあげ、アキちゃんの手料理などのつまみと鍋でお腹いっぱい、飯までいかなかった。

1月27日
 朝4時半に目が覚める。よく晴れて甲斐駒がモルゲンロートに染まる。朝食は鍋の残りでおじや、うまい、2杯食べた。昨日の風もおさまり、快晴の穏やかな天気、すいている中央道をゆっくり走って帰ってきた。斑山は小さいながら独立峰、休憩入れて4時間、ちょうど手ごろ、はっきりした道はないがどこでも歩ける。ほかに誰もいない、静かないい山だった。