1801佐久茂来山

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1801佐久茂来山

恒例の鉄驪荘新年会&浜野さんを偲ぶ会、参加者の日程調整の結果、今年は1月19日と20日の2泊3日、2晩に亘って開催、中日の20日は佐久の茂来山ハイキングも。

参加者
1月19日 山中秀彦  益崎健二郎  大谷尚史  藤原国生  伊東 毅
 1月20日 木邨光宏  片岡ひとみ  益崎健二郎  大谷尚史  藤原国生
伊東 毅  内田正明

1月19日
 伊東車(山中・益崎) 新百合ヶ丘駅(9:30)=矢野口駅(10:00)=須玉IC=
蕎麦いち=鉄驪荘・麻雀
  大谷車(藤原) 東京駅 (10:00)=長坂IC=鉄驪荘
    きらら買い出し

山中、益崎、伊東はひと足早く出て、蕎麦いちで昼食後13時鉄驪荘着。奥様と1年ぶりの麻雀、半荘終わらないうちに大谷、藤原が到着。5人そろってきららに、今日明日の食材買い出し。今晩は牛肉しゃぶしゃぶ、牛肉たっぷり、この冬高価な野菜もたっぷり、もちろんアルコールもビール、清酒、焼酎、ワイン、ウイスキーと潤沢。飲みながら食べながら、奥様の思い出話、浜野さんとの結びつきのあれこれに聞き入る。やがて山中さんがおやすみ、カラオケは自然消滅となった。

1月20日 
山中帰京 朝8時、長坂駅へ送り。佐久海ノ口駅(9:31)木邨・片岡合流=親沢=信濃沢林道ゲート=駐車地点1280m(10:30)~登山道入り口(11:30)~茂来山頂上(12:15~12:45)~林道駐車地点(14:30)

大谷車にフジクニ、伊東車に益崎が乗って佐久海ノ口へ、ところが海ノ口の駅が見つからず、大きく通り越して佐久穂の方まで行ってしまい、戻ってさらに右往左往、海ノ口郵便局の駐車場に入ったら、そこに海ノ口の小さな駅舎があった。国道には看板も案内も何もない、こちらの不注意もあったが、ちょっと不親切。それでも木邨、片岡の列車到着には間に合って、無事6人合流、海ノ口大橋を渡り、小沢しなの入りトンネルを抜けて南相木の谷、少し下って親沢川沿いの道を登って親沢集落、こんな山の中に家がたくさん建て込んでいる。集落を抜けて信濃沢林道、舗装された道の終点にゲートがあったが、町の案内図と違ってゲートは開いている。路面は悪くないのでそのままダートの道を入って行ったが、何となく気が引けて1280m付近、車が停められる場所があったので、車はそこまでにして、ここから歩くことにした。林道だが舗装されてないので歩きやすい、手入れされた落葉松林の中をのんびり歩き、ほぼ1ピッチ1470mの登山口に着いた。ここで一人軽装の男の人が追い付いてきたが、山に登る様子もなく、よく分からないまま、どこかに消えていった。ここから頂上まで標高差は約250m、最初はゆるやかな沢状から急な登りになる。南面なので雪はないが、道が新しいので、足の置き場が傾いていて滑りやすい。ちょっとした尾根に出て少し登ると、次は顕著な尾根に出て、向こう側の斜面には雪が積もっている。先日の関東の大雪なのか、北面のためか、結構な積雪で、木の枝には霧氷がついて、雪山の表情を見せる。霧久保沢や槙沢ルートの分岐らしいが標識はなく、道もはっきりしない。頂上はすぐそこ、こちら側には雪がないので問題なく、ちょっとした岩場の上に神社の祠と皇太子記念碑などがある山頂に着いた。信州百名山、岩場になっているぶん見晴らしはよく、小ぶりだが気持ちのいい山頂だ。西側に八ッの赤岳、横岳、硫黄岳などが見えるが雲が多く、すっきりしない。南アも見えるはずだが雲、その左に金峰、瑞牆、手前に天狗山、男山は見える。北側には浅間、高峰などが見えるがこれも雲がかかってパッとしない。せっかくの眺望がいまいちクリアでなかったのが残念だったが、茂来山の高さだと雲がなく日が差して暖かい。大谷がコンロで湯を沸かしランチタイム、それぞれおにぎりやパン、ココア、みそ汁、おやつも。そこに地元の人か、熟年の男の人が一人登ってきて、親切そうにあれこれ説明してくれる。なにやらプライベートルートを開いて登ってきたとか、でも何となくよく分からない人だった。下りは滑るかと思ったが、心配するほどのことはなく登山口。のんびり歩いて車に戻り、来た道を戻って海ノ口温泉へ、線路の向こうの和泉館、500円、沸かしの食塩泉、すいていた。何やかやで帰りが遅くなり、とっぷり日が暮れて鉄驪荘着。すでに水戸からアンコウとともに内田が着いていた。アキちゃんも来て今日は9人、にぎやかになった。早速アンコウ鍋、コンロ2つ鍋2つ、あん肝もたっぷり、次々に箸が伸びてみんなご満悦、食べて飲んで喋って時間が過ぎる。今日もカラオケまで至らず

1月21日
 木邨は勤務のため早帰り、内田さんは一人お坊山、あとはゆっくりだが午前中に帰京。今年も楽しい会になった。茂来山も小粒ながらいい山で、まずは満足。