1910 磐梯山(TUSAC秋山)


恒例のTUSAC秋山、内田さん幹事で、休暇村裏磐梯に泊まって磐梯山

 

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参加者

鈴木靖二、村田正彦、内田博、高井延幸・紀栄、都留義之、木邨光宏  益崎健二郎  

藤原和敏  伊東 毅

 

10月15日

 台風19号の影響で小田急ダイヤ乱れ、1時間早く出て快速急行、混んでいた。大宮で1時間半待ち、ホームで内田さんに会い、やまびこ135号、車内で木邨、益崎、高井夫妻、鈴木、郡山で村田、藤和が合流して、駅ビルの湖穂里という店で昼食、刻み鴨そばというのを食べた。まずまずのそば、鴨汁のそば湯が美味かった。磐越西線不通で休暇村裏磐梯のバスが郡山まで迎えに来る。1時間半ほどで到着。きれいな建物で、広い芝生の向こうに磐梯山が見える、いいところだ。都留さんは車を運転して一人で到着。温泉は鉄分のやや赤い湯、露天風呂が気持ちいい。いつものように内田さんたちの部屋でいっぱいやって、夕食。バイキング、乗鞍と同じ、いろいろ食べた。飲まないので、その後は部屋に入って寝てしまった。

 

10月16日

朝食7:00 出発(8:00)タクシー八方台(8:40)~中ノ湯(9:15)~小休1320m(9:20~9:30)~

弘法清水(10:50~11:00)~磐梯山頂上(11:45~12:30)~お花畑分岐(13:10~13:20)~小休

1470m(14:00~14:10)~中ノ湯(14:40)~八方台(15:10)解散・タクシー猪苗代駅=郡山=

新幹線帰京、帰宅

 

 朝風呂入って、7時朝食、バイキング、パンを中心に食べた。8時にタクシーで八方台。いい天気、ブナ林の中の緩やかな登り、中ノ湯は建物が傷んで廃屋のようだ。尾根の途中で休憩して2ピッチ目、弘法清水までは長かった。天気がいいので登山者が多い、ロートル隊は次々に追い抜かれる。紅葉はところどころにオレンジのカエデがあるほかはあまりない。今年は遅いらしいが、ダケカンバやナナカマドの葉がなくなっているのは台風で飛ばされたのだろうか。弘法清水からは急登、変則3ピッチ、ほぼ3時間で頂上、裏磐梯の湖沼群、吾妻連峰から安達太良、猪苗代湖など雄大な展望が広がる。風もなく暖かい頂上で昼食、コンビニおにぎりとオニオンスープ。下りも3ピッチ、2時間40分、結構ハードな山だった。ところが八方台に下りたところで眼鏡をなくしたことに気づく。またしても、である。どこに置き忘れたか記憶にない、ショックで、せっかくの山歩きが台無しの気分になってしまった。タクシーで猪苗代駅磐越西線開通して、予定通り、郡山、新幹線で大宮、新宿経由帰宅した。

1909谷太郎川偵察・津久井湖城山

1909谷太郎川偵察、津久井城山

 

参加者

  伊東 毅

 

9月20日

 時間不詳

 

 いい天気なので、谷太郎川のキャンプサイトの偵察、17年前と変わっていなかった。東名厚木から愛甲石田の駅東を抜けて清川村、煤ヶ谷から入り、清川リバーランドの谷太郎川林道、舗装されていて全然変わってない。鳥屋待沢出合の駐車スペースもそのまま、2台分。山ヒル対策で長靴、虫よけスプレー、空身で右岸沿いのアプローチ、踏み跡も変わってないみたい。蜘蛛の巣を払いながら、2つ目の砂防堰堤は左側、ちょっと急でボッカは大変か、でもほんの少しだから、どうってことはないだろう。アプローチ全体で約300m、堰堤の上に河原が広がっている。ここも変わっていない。広々していて、水はすぐそばを流れていて、薪もそこそこある。ただ石ころが多く、聖地が必要だ。焚火の跡があり、他にもここでキャンプする人がいるようだ。

 写真を撮って往復、帰りは堰堤の左岸を通ったが、全体としては右岸沿いの方がいい。山ヒルはいないみたいだった。9月下旬だからか、防虫剤が効いたかな。次いで林道をどん詰まりまで行って、鐘ヶ岳のルートを探る。踏み跡らしいものはあるが、急で登る気にならない。ロートル隊には厳しいだろう。

 これで偵察は終わり、まだ11時にもなってない。軽く歩こうと、津久井湖の城山に向かう。宮ヶ瀬ダムからトンネルを抜けて旧愛川町、根小屋の城山パークセンターの駐車場へ。

ちょうど幼稚園のバスが2台、遠足かな、やってきた。パークセンターは公園、展示館や復元した御屋敷などがある。そこから山道、最短ルートで頂上375mへ。時間は見なかったが1ピッチ足らず、山城址の広場と一段上の頂上、そこに由来が書かれた石碑があった。北条の部将、筑井氏云々。一段下りたベンチで昼飯、コンビニのおにぎり、木が多いので展望はいまいち、目の下に津久井湖の水面、右手に相模原の街が見える。

 下りは尾根続きの飯縄曲輪、赤い鳥居と飯縄神社。北西側を回る女坂という道を下りて、

またパークセンターへ。途中に展望台とか御屋敷跡とかいう広場などがある。天気はいいが雲が多く丹沢方面はよく見えない。山歩きとしては物足りないが、今日はこれでおしまい。

帰りは橋本から南大沢のアウトレットに寄って、多摩ニュータウン経由で帰宅。

1908夏山涸沢トレッキング

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1808夏山 涸沢トレッキング

 今年の夏山は涸沢小屋の個室を確保して、涸沢から屏風のコルを越えるパノラマコースを計画したが、直前にパノラマコースは8月いっぱい通行禁止ということが分かり、愕然とするも、そのまま徳沢園2泊、涸沢小屋1泊という優雅な小屋泊まりトレッキングということになった。みんなあちこち体調が悪く、大谷は腰痛+目の検査、フジクニも肩など体調不十分、木邨は夏風邪で3人不参加という、やや寂しい状況、伊東も7月末から夏風邪で直前までダウンしていたが、なんとか回復したので、予定通り実施した。結果は1日の行動が2~4時間、快適な山小屋、天気に恵まれて、楽しい山歩きになった。

 

参加者  益崎健二郎  片岡ひとみ  伊東 毅

     藤原国生   浜野由美   須藤さん  浜野アキ(鉄驪荘のみ)

  

 

8月15日

 伊東車(益崎・藤原) 矢野口駅(10:00)=須玉IC=うどん千座=

            スーパー渡辺・きらら買い出し=鉄驪荘

  片岡車(単独)山形=新潟・長野道=鉄驪荘

 

10時矢野口駅、フジクニ、益崎合流、中央道、台風10号の影響で時々強い雨、上野原付近50キロ制限、前が見えないほどでやや渋滞。談合坂で休憩したが雨なので、充電は取りやめ。昼はいちに行こうと思ったが電話に出ない、お盆休みかな、須玉から清里線をちょっと北上したところで、手打ちうどんの看板を見つけ、右手の農道に入る。やや分かりにくいところだが、千座(ちくら)という農家風の小さい店があった。その割にはお客が入っていて、一応地元では知られているのかな。ざるうどん、ごまだれ、混ぜご飯、野菜の煮物など、900円でうまかった。

 買い物は新しくできた渡辺スーパー、肉が専門のようで、なかなかいい肉があった。野菜などもあらかた買って、酒類その他をきららで補充。鉄驪荘に着くと家全体に足場が組んである。きつつきが穴を開けるので、木の壁を鉄板で覆うのだそうだ。浜野さんの奥さんと、友人の須藤さんという同年配の女性がいて、昨日電車で来たそうだ。

 今回はシェフ大谷がいないので、せっかく作ってくれた冷しゃぶメニューは取りやめ、簡単に出来るホットプレートの焼肉に変更。これなら料理が要らない。ところが須藤さんが料理上手で、何から何までてきぱきと要領よくやってくれるので、われわれは何もしないで、座って食べていればよい、というありがたいことになった。ホットプレートは伊東が一つ持って行ったが、鉄驪荘にも一つあって、この人数なら一つで間に合った。

 17時ごろ片岡到着、新潟はフェーン現象で異常な暑さだったそうだ。アキちゃんは強い雨の中、ちょっと遅くなったが、無事到着、いつものなごやかな、鉄驪荘の夜。奥さんが建設当時からの鉄驪荘日記を出してきて、昔の話に花が咲いた。

 

 

 

8月16日

 鉄驪荘9:00=長坂駅9:30フジクニ送り=長坂IC=松本IC=沢渡11:20=上高地

(12:00~13:00)~徳沢園(15:10)

 

  朝はたまごかけご飯、フジクニが入笠山に登って帰るというので、長坂駅まで送り、伊東車、片岡車の2台で沢渡へ。アルピコの営業所に駐車、1台1日700円、4日で2800円、上高地までのタクシー代4400円

 天気は曇り時々小雨、傘も出したがさすまでには至らず。のんびり歩いて徳沢園、相部屋は改装されて、2段式だが幅1m、奥行き2mあまりのセパレートされた、ほぼ個室、清潔で快適になった。トイレはウオッシュレット、風呂もきれいで洗い場、シャワーが6つ、シャンプー、ボディーソープもあって、山小屋とは思えない。

 夕食は5時から、ビールと信州牛ステーキ、岩魚の塩焼きなど、豪華メニュー。これで1泊12,000円。ぎゅう詰めの山小屋でも10,000円とるのだから、むしろ割安ではないか。

 

8月17日

朝食7:00 徳沢発8:40~横尾10:00~本谷橋(11:00~11:40)~横尾本谷見える(12:10)

~涸沢小屋14:00

 

 晴れたが、明神には雲がかかっている。ゆっくり歩いたつもりだが、まずまずのタイム。本谷橋の上、トラバース道から横尾本谷右俣がよく見える。二俣の上の滝場、上部の小滝連瀑帯がポイントだが正面から見ると、急で高度差もある。あれを幕営用具一式持って登るのは大変かな、みんな体力が落ちているから、ちょっと厳しそう。最上部のカールもよく見える。テント張って、焚火したら、こちらから見えそうな感じだ。

 涸沢小屋はヒュッテより50mくらい高い、テント場を見下ろし、前穂の北尾根が正面、眺めがいい。個室は前穂と常念を望む角部屋の6畳、今回は3人だからゆったり。個室代は12,000円だから、1人4,000円+小屋代10,000円、これが高いか安いか、高齢者としては、もう雑魚寝の山小屋はご免こうむりたいので、多少の出費はやむを得ないだろう。

 時間がたっぷりあるので、前のテラスで生ビール。天気はよし、景色もよしで気持ちがいい。前穂に残照が当たっていたが、アーベントロートまではいかなかった。夜は満天の星。

8月18日

朝食5:00 涸沢小屋7:30~涸沢ヒュッテ8:30~本谷橋10:40~横尾12:20~13:10

~徳沢園14:10

 

 朝は冷え込んで、セーターを着てダウンのインナーをはいた。前穂から奥穂がモルゲンロート、部屋の窓から見られるのだから贅沢な話だ。朝食後ゆっくりしてたら、県警のヘリが飛んできて、Ⅳ峰の奥又側を旋回していた。そのあと涸沢ヒュッテ脇のパトロール詰め所で聞いたら、事故があったとのこと。今でもⅣ峰正面を登る人がいるのか、それとも北尾根から落ちたのか。ヒュッテからパノラマコースの入口に回ってみたが、ロープが張ってあって、通行禁止。もう雪はないので問題はないだろうが、ヘリも飛んでるし、強行突破は出来ない。

 徳沢園チェックインの14時目指し、ゆっくり下る。本谷橋で昼食、日曜日で人が多い、家族連れや若い人たちで大にぎわい、上高地から涸沢は銀座か原宿、ファッション誌から抜け出てきたような山ガールがいっぱいいた。横尾でも休憩、アイスクリームを食べようかと思ったが、ソフトはなし、ハーゲンダッツしかなかったのでやめにした。

 徳沢園に着いて、まず風呂、次に生ビール、ジョッキ2杯飲んだ。一日あいたが連泊扱いで、夕食のメニューが変わっていた。

 

8月19日

徳沢園8:20~上高地10:30 タクシーで沢渡 徳兵衛でそば、解散、帰京・帰仙

 

 今日も晴れだが穂高は雲の中、明神でアルピコに電話、上高地から沢渡、往きと同じ運転手。新島々の徳兵衛で昼、そばを食べて解散した。上高地線も中央道も車が多く、あちこち渋滞があった。

 

 山とも言えない山歩きだったが、病み上がりの身には、ちょうどよかった。快適な宿、頑張らず、気楽に楽しむ、こんな山もいいものだ。

1906富士山御中道

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1906富士山御中道


参加者
木邨光宏  大谷尚史  伊東 毅
 
6月25日
新百合ヶ丘(6:39)=八王子(7:22)=高尾(7:41~7:43)=富士山駅(9:17~9:40)=スバルライン御庭(10:34~10:50)~御中道合流(11:25~11:35)~林道分岐往復(11:40~11:55)~最初の沢(12:27)~二番目の沢(12:31)~昼食(12:35~13:05)~林道分岐(13:35)~御庭分岐(13:40)~小火口(13:55)~五合目(14:30~14:55)=河口湖=大月駅、浜野屋ホテルいろり亭

 梅雨の晴れ間を狙って富士山の御中道を歩く。スバルラインバスは富士山駅(旧富士吉田)が始発、河口湖で外人客が乗ってきて満席。御庭バス停で下車、立派なトイレがある。お中道への道の入口には何故かトラロープが張って立ち入り禁止になっているが、その先に道があるのが見えているので、かまわず入っていく。すぐ立派な石畳の道。50cm角ぐらいの石を横に2枚、それが続いている。整備した積りなんだろうが、これがかえって歩きにくい。表面が凸凹している上、固くて足に響く。なるべく横の溶岩の砂礫部分を歩いた。
カラマツとシラビソが主な樹相だが、風や雪に叩かれてカラマツが盆栽のようにひねこびているのが面白い。新緑の季節は過ぎていると思うが、カラマツの葉の色がやわらかい。小鳥(名前が分からない)も鳴いて、いい雰囲気だ。100mほどの登り、30分ほどで御中道と合流、ひと休み。ここから大沢崩れ方面に行こうとしたが、間違えて御庭バス停に下りる林道に入ったりして、時間をロス、それでも正しい御中道を発見して入っていくと、ここにもトラロープ、崩壊してるから通行止めとある。かまわず潜り抜けて進むと、シラビソの木立の間にしっかりした道が続いている。どうも、このへんは観光客が迷い込まないようにということのようだが、御中道も文化遺産、どう考えているのか、面倒なことが起きないように廃道にしようとしているのかと勘ぐりたくなる。
大沢崩れまでは時間的に行けないが、滑沢ぐらいまでと歩いていくが、林が濃くて展望がなく、あまり面白い道ではない。1ピッチ弱歩いて初めて小さな沢を渡る、ここでようやく富士山の上部が見えた。その先にもう少し広い沢、開けたところに出て、頂上も見えたので、ここを最終到達点とする。GPSで見ると滑沢の少し手前、沢の真ん中で休むわけにもいかないので、少し戻った林間で昼食。富士山駅で買ったモスバーガーを食べる。
そこから来た道を戻り御庭分岐まで40分、御中道はそこから5合目までの間が、木も少なく展望がよい。地元としては、ハイキング客にここを歩かせたいということなんだろう。途中小さな寄生火山の火口があったり、頂上への赤い山肌と残雪を見渡せたり、なかなか楽しい。頂上には雲が次々にわいて、見えたり隠れたり、それも変化があっていいのだが、反対側は雲が厚く、御坂の山や、その向こうに見えるはずの南アや八ツの展望が見られなかったのが残念だった。
御庭分岐から5合目までも1ピッチ、それまで静かなプロムナードだったが、突然観光バスと観光客の喧騒の中に放り込まれる。上高地よりひどい、何も見えないのに、なんでこんなに人が来るのか。ほとんどが外人、中国人、世界遺産で稼ごうという業者の浅ましさが溢れていて、何とも気持ちのよくないところだ。
お中道を短めにしたので、予定より1本前のバスに乗って下りる。河口湖の駅は前回と違って、大喧騒はなかった。前回は桜の季節と富士山も雪できれいな時だったから、観光客があふれていたのだろうか。おかげで富士急もすいていて、ゆっくり座って大月で、また浜野屋2階のいろり亭で打ち上げ。
お中道は簡単に行けるいいところだ、石楠花の木が多いので花の時期はもっといいだろう。カラマツの紅葉(黄葉)の頃もよさそうだ。おじいさんの散歩コースとしては、この先当分使えそうかな。

1905九鬼山から御前山

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1905九鬼山から御前山


参加者
木邨光宏  大谷尚史  伊東 毅
 
5月10日
新百合ヶ丘(7:10)=八王子(8:16)=富士急禾生(9:25~9:40)~愛宕神社(9:55~10:00)~池山分岐(10:50)~天狗岩(11:20)~富士見台(11:45~12:25)~九鬼山(12:30)~札金峠(13:35)~馬立山(14:35)~御前山(15:30~15:40)~四合目鳥居(16:20)~駒橋バス停(16:35)=大月駅、浜野屋ホテルいろり亭

 連休明け、新緑の山、中央線沿線ということで、大月近郊の九鬼山。快晴、絶好の日和に恵まれ、7時過ぎ新百合発八王子で甲府行きに乗り、木邨、大谷と合流。富士急禾生駅を9時35分出発、落合橋を渡って、発電用水路のレンガ橋をくぐって登山口、愛宕神社へ。九鬼山まで急登2ピッチ、足が重く、大腿四頭筋がきつい。これは先行き不安。池山分岐を過ぎ、眺望がいいという天狗岩に寄る。小さな岩だが桂川の谷を見下ろし、富士山が正面に見える。途中ですれ違った女性が頂上は小学生で大賑わいですよ、と教えてくれたので、手前の富士見台という尾根の分岐で昼食休憩。ここも開けていて眺めも悪くない。頂上には麓の禾生第一小学校の子ども20人余りが陣取っていた。遠足なのが授業なのか、体操着にリュック、先生も3人ぐらい、1学年1クラスかな。九鬼山から御前山への縦走路は急なアップダウンが多い。まず、九鬼山の下りが急、いったん右の尾根を下りて途中で左へ、沢の上部斜面をトラバース、主稜線の尾根は急すぎて道をつけられないのか、トラバースルートにしても張り巡らされたトラロープに助けられるようなところ。札金峠から馬立山クヌギミズナラなど、新緑が目にやさしい。ヤマツツジがちょうど見ごろ、なかなかいいところだ。御前山は岩山、南側は岩壁で下をのぞくのが怖いくらい。正面に九鬼山が立派だ。厄王権現の社の前を通り、急な下り、こちらは信仰の山、下の駒橋部落から新しい鳥居が寄進されていた。4合目で下の鳥居をくぐり、林道に出て、思ったより早く駒橋に着いた。バスで大月駅、駅前の浜野屋2階のいろり亭、人気の店で、3回目でやっと入れたけれど18時までの1時間だけ。生ビールとつまみ、お茶漬けなど。おしぼりで身体をふいて着替えも出来た。よく歩いた、小さいけどなかなかハードな山だった。

1904箱根湯坂路

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1904箱根湯坂路



参加者
木邨光宏  大谷尚史  藤原国生  益崎健二郎  伊東 毅
 
4月12日
箱根湯本(10:50)~急登上300m付近(11:30)~防火帯548m(12:45~13:30)~浅間山(14:25~14:40)~鷹巣山(15:10)~湯坂路入口バス停(15:22)=箱根湯本、弥栄湯、はつ花

中沢追悼、箱根湯坂路、朝小田急車内で先行の木邨からメール、精進池付近は吹雪、積雪3センチ、山歩きには不適とあった。とりあえず箱根湯本駅で集合、善後策を相談、雨は小降りになったが、まだ時間は早いので、どこか花見でもという気分だった。湯本はもう終わり、宮城野の早川土手というのも考えたが、湯坂路をちょっと登って500mあたりなら咲いているんじゃないかと、いうことで少し登ってみることに。観光物産館でトイレを借り、その前で雨具上下をつけ、完全武装で歩き出す。雨は小やみ、湯坂路を下から登っていく。結構急な登り、石畳みで滑りやすい、登るのはともかく、下るのは、いやらしい。滑って転ぶと下が石だから怪我をしかねない。最初の急坂を登って防火帯に出ると、ヤマザクラが咲いている 。もみじの新緑も綺麗だ。雨はやんだ、さっきの石畳みを下りるか、このまま浅間山まで行くか、考えたが、登る方が安全、このまま登ろうということに。歩きやすい草地の道、小鳥がしきりに啼く、ウグイスの声はわかるがあとは分からない。浅間山まで1時間、小涌谷へは杉の根っこの急な下りなので敬遠、鷹巣山を回って国道に出ることにした。浅間山鷹巣山のコルからは予想外の急な登り、最後に試練が待っていたが、お爺さんたちは元気に登り切る。国道の湯坂路入口のバスは15時20分、ギリギリのタイミング、バス停の直前、向こうからバスが来た。2分ぐらい遅れて来たので、ちょうど間に合った。バスは外人のカップルとあと1人だけ、すいていた。そのまま、箱根湯本まで下りて、まず温泉、旧道の方の公衆浴場、弥栄湯、小さなまるい湯舟、でも掛け流し、やわらかな湯で温まる。地元の人専用みたい、でも親切だった。はつ花の新館、意外にもここもがら空き。大谷が持ってきた中沢の山の写真を飾って献杯、窓の外を早川が流れ、向こうの山には点々とヤマザクラが咲いている。雨、雪で駄目かと思ったが、案に相違していい山歩きが出来、いい追悼が出来た。

1903御坂山

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1903御坂山


花粉最盛期、人工林のなさそうな富士山周辺ということで、天下茶屋から御坂山、御坂峠周回のハイキング。

参加者
木邨光宏  益崎健二郎  伊東 毅
 
3月27日
高尾発(7:43)=河口湖(9:25)=天下茶屋(10:15)~稜線(10:45)~御坂山(11:35~12:10)~御坂峠(12:45~12:55)~休憩(13:25~13:40)~三つ峠入口(14:05)=浅川温泉街ホテル美富士園=河口湖

 6時半新百合発、町田で横浜線、八王子乗り換え高尾で河口湖行き中央線、木邨、益崎合流。いい天気の中、富士急行線河口湖駅に着くと、天下茶屋行きのバスが路面凍結のおそれと称して三つ峠登山口までしか行かないとのこと、予定が狂ったが、急遽タクシーに変更、路面は全く問題なく天下茶屋へ。冬季の臨時措置と思われるが、富士急バスのHPには何のアナウンスもなかったし、電話で営業所にダイヤを聞いた時にも何も言われなかったので納得いかない。タクシー代5400円、バス代の2倍。天下茶屋の前から河口湖越しの富士山が見えるが、春がすみと逆光ですっきりとはいかない。太宰治の「富士には月見草」の碑を見て、階段道登り30分で稜線、清八山からの縦走路に出る。そこからゆるい登り下り、1ピッチで御坂山、ブナ、ミズナラなどの広葉樹林だが、まだ冬枯れ、馬酔木だけが青々とした葉をつけ、中には黄色い花も見られる。稜線はさすがに風が冷たく、遠く大菩薩が雪を冠って浮かんでいる。御坂山頂で昼食、益崎の淡路島フルーツ玉ねぎスープが美味い。タクシーのおかげで時間はゆっくり、御坂峠まで下り1ピッチ弱、峠付近には山城址か空濠などの人工的地形が見られる。武田、徳川の攻防の舞台とか、御坂城址そのものは峠の先にあるようだが、そこまでは行かなかった。峠からの下りは、地図で見たら急で大変かなと思ったが、丹念にジグザグを切ってゆるやか、広くていい道だった。昔の峠道、牛馬も通ったところと聞いてなるほどと思った。中腹から赤松が増え、背が高くまっすぐに伸びているのが松らしくなくて面白い。下の方にはヒノキやスギの人工林があったが、さいわい花粉の出る花はついていなかった。ゆっくり時間調整をして下りたが、道がよかったので思ったより早く、国道御坂トンネルのわき、三つ峠入口に着いた。甲府から河口湖行きのバスに乗ったが、河口湖大橋経由で浅川温泉街は通らないという。これも計算外、橋手前の河口湖美術館で下りて歩くことにした。産屋ヶ崎を回って行く湖畔の道。富士はかすんでほとんど見えないが、外人観光客が多い。浅川温泉のホテル美富士園で日帰り入浴、1200円と高いが7階の展望風呂、本来は富士が見えるのだろう。お湯は無色無臭、ゆっくり浸かる。駅に向かう周遊バスは外人観光客で満員。河口湖駅も大混雑、富士急の特急券は売り切れ、高速バスも満杯、約1時間後の各駅停車、木邨が素早く席を押さえてくれたので、3人座れてホッとする。車内はこれまた外人ばかり、我々以外に日本人はいないみたいだった。河口湖なんて通俗すぎて、魅力ない観光地の代表みたいな感じだったが、富士山を見たい外人観光客が如何に多いかということなのだろう。大月で一杯、浜野屋の2階はまたも満席、この前と同じ庄屋、いっぱいとって食べ、満腹。駅探で調べたら、20:50の各駅が載っていたが、その前に20:36の「かいじ」があった。たまたま、ちょっと早く駅に行ったので、乗れたが特急券は買えなかった。駅探の設定に近距離特急利用が抜けていた、反省。新しい綺麗な車両で特急券は車内で買うが割高、八王子までで1010円は高いな。横浜線で町田、22時帰宅。
ちょっと短いが、まあまあ手ごろなハイキング、スギ、ヒノキの木は少なかったが、どこへ行っても空気中に花粉が溢れているので、マスクと眼鏡は外せない、いやな季節だ。木邨曰く、河口湖界隈は現代日本の縮図、まさにその通り、日本人は閉め出される。これからも行き先をよく考えて選ぶ必要がありそうだ。