0007剣岳西面立山川

 

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参加者 浜野宏明  塚田玲子  片岡ひとみ  伊東 毅

7月20日 東京駅=越後湯沢=富山=馬場島=菊石~取水口~すなくぼ池
~オクノスワリ手前幕営(時間不明)


6時新百合ヶ丘発、東京駅で塚田、片岡と合流、上越新幹線あさひ305乗車。大宮で浜野合流、越後湯沢でほくほく線はくたかに乗り換え、順調に富山に向かっていたと思ったら、人身事故発生とかで黒部駅で停車、30分待ち、結局1時間近く遅れて富山駅に到着した。駅前で買い物、食料、弁当など仕入れたあと、タクシーで馬場島に向かう。馬場島から立山川に工事用の道が出来ていたので、そのまま入ってもらう。地図に菊石とあるところの上まで約2キロほど、これで多少取り返したが、予定より約1 時間遅れての出発となった。すぐ砂防工事用の道がなくなり、その上は左岸が砂防堰堤で遮られて登れない。水量が多く徒渉も出来ない、ちょっと迷ったが、すぐ下に発電用の取水口があり、そこで右岸に渡ると草で隠れそうな踏跡がみつかった。そのまま右岸の踏跡を辿ると、すなくぼの池とおぼしき湧き水のたまりに出た。 その先も踏跡を探しながら進むが、なかなか分かり難い。いったん河原に出たところで道を失ったので空身で偵察する。そのまま川沿いに行くと小さな滝になり、岩場に遮られたので、その手前の草付きを登ったら、ひょいと高捲きの踏跡に出た。そこでその踏跡を戻り3人と合流、今度は浜野、塚田,片岡の順で進み、伊東はザックをとってあとから追いかける。すると先ほどの草付きの上のトラバース数メートルがやや悪く、ひっかかってしまう。最初、塚田が渡ろうとして、ズルっとスリップ、辛うじてとまった。伊東がすぐ後についていたが手を伸ばすひまもない一瞬だった。すぐ掴まえてもとに戻した後、ふたたび伊東が単独で先の偵察に出る。もう1個所いやらしいトラバースがあって、その先で先ほどの滝の上の雪渓に出た。ところが先行したはずの浜野がいない、どうしたのかと思って呼んでみるが応答なし、仕方がないのでそこで荷を下ろし、もとに戻ってみるとそこに3人揃っていた。途中で踏跡を間違え下におりてしまって、また登り直してきたということだった。例の草付きのトラバースは2個所ザイルをフィックス、塚田、片岡のザックは伊東が運んで通過した。 そして滝の上の雪渓に下りたが、そのすぐ上で雪渓が切れるとともに谷が狭まってゴルジュ状になっている。右岸は切れ落ちてとても通れない。左岸はやや広いが岩場のへつりになり、ちょっと覗いてみたがザイルなしでは空身でも難しい状況。その先の見通しもきかなかったが、既に5時半になっていたので、とりあえずこの辺で泊まることにした。幸いこの手前のやや高みになったところに砂地の平地があったので、邪魔な木を切り石をどけてスペースを作りテントを張った。水も取れ流木もあり、まずまず快適なテントプラッツだった。夕方から夜ににわか雨の予報もあったが、雲が完全に切れて天気が良くなったので一安心。だが昔硫黄鉱山の運搬路だったと言うので河原歩きと雪渓登りかと正直甘くみていたのだが、意外の悪さにあてが外れ、先の見通しがつかないこともあって意気が上がらない。夜もなかなか寝付かれず、このまま元きた道を引き返すのかなどと思い悩んでいた。あとで確認したらここはオクノスワリというゴルジュで立山川では唯一最大の難所だった。浜野さんは右岸に高捲道があるのじゃないかと言うが、右岸の岩壁は高さ100メートル前後はあり、あれを登るとしたら、これまでの踏跡の状態からして容易なことではない。ザイルも20メートルしかないのでちょっとした懸垂も難しい。たしかに地図には右岸沿いに点線があるが、そんなに川から離れているところもなく、へつり徒渉ありと書いてある。今年は残雪が多く、水量も多いので徒渉が出来ず、へつる岩も出ていないのじゃないかと思われた。とすると左岸の岩場が通れなければ万事休すか、などと考え、悶々として夜を過ごした。

7月21日 オクノスワリ(6:30)~毛勝谷出合(8:20)~東大谷出合(9:20)~白ウラ谷
~新室堂乗越~雷鳥荘(17:30)


夜中星が出て、朝は快晴。飯を食ってテントをたたんで浜野と二人、空身で偵察に出る。最初の岩場はザイルを張りたいが適当な支点がない。浜野がハーケンを1本だけ持って来ていたがハンマーがない。仕方がないのでピッケルと石で叩いて、辛うじてハーケンを半分あまりリスに打ち込んでビレイをとった。しかし到底効いているとは言えず、気休めに近いが、ないよりはましといったところ。ルート自体は難しいことはないが足下が激流なのでいやらしい。ザイルのおかげで、なんとかそこを突破、その先の見通せるところまで登ってみた。岩場の先、草付きから河原に下りるところ数メートルが急だがザイルを使えば大丈夫そうだ。その先河原から雪渓に移るところも問題ない。そして、その先は谷も広くなっている。どうやら行けそうだと分かり、ほっと一息、文字どおり愁眉を開いた気分だった。再びテントプラッツに戻りザックを背負って出発、問題の岩場は伊東がピストンで荷を運び塚田、片岡を通し、草付きからの下りはザイルでザックを降ろした。これで、どうにか難所を通過、1時間半ほどを要した。どうやらこの部分だけがゴルジュ状になっていて、この先は広くなってくる。雪渓は切れたり現れたりするが、上り下りするのに苦労するところもなく、河原歩きと交互に進み、毛勝谷出合8時20分、東大谷出合9時20分と順調に進んだ。東大谷の上で完全に雪渓になり、あとはドン詰めまでえんえんと雪渓登りになった。こうなればもうもらったという感じで、気が楽になったが、これからが長い。東大谷出合1387メートル、室堂乗越2380メートルの標高差1000メートルの雪渓をひたすら登る。天気は相変わらず良いが夏山特有の雲が出て時々霧が吹き下りてきて視界を閉ざした。大日谷、桧谷をわける三股を過ぎたが、その先どこを登ればいいのか分からない。どこも最後はガレか薮こぎか、すんなり行けるところはありそうもない。真正面の中の谷は最後雪渓が切れてからがかなり長くあまりぞっとしない。1本左の沢が傾斜もゆるく、稜線直下まで延びていてやさしそうに見えたので浜野と相談、それを登ることにした。地図に白ウラ谷とある沢のようで、入ってから傾斜が急になってきたので念のためアイゼンをつけた。早朝からのアルバイトでさすがにスタミナも切れかけて、最後は相当ピッチが落ちたが、ようやく雪渓のどん詰まりに達した。 この上は50メートルほどのガレ場になっている。下から見ると傾斜も余りなく難しくもなさそうだったが、取り付いてみるとこれが難物だった。ガレだから当然浮き石だらけ、ほぼ中央の確りしていそうな溝を選んで登りだしたが荷物が重いのでバランスが悪く、だんだんしんどくなってくる。最後はホールド・スタンスともになくなって、フリクションだけが頼りの厳しい登りになった。稜線の這い松までの数メートルを必死で這い上がり、手を伸ばして這い松の枝に掴まったときはやれ助かったと思った。その這い松を回り込んで稜線に上がった時は息も絶え絶えだったが、休む間もなく、すぐザイルを出して、途中で行き詰まっている塚田、片岡を引き上げる。浜野はやや時間がかかったがガレの左はしを登ってやはり這い松帯に達して登ってきた。 こうして全員が完登に成功、出たところは新室堂乗越のやや別山よりの稜線ですぐ下に縦走路があり、ハクサンイチゲチングルマ、イワカガミ、イワイチョウなどが花盛り、目の下には雷鳥沢から弥陀が原の高原地帯、向かいに立山連峰が立ち並び、まさに天国のような景色、振り返るとよくここを登ったと思われるような急峻なガレが落ち込んでいて、地獄とは言わないまでも対照的な光景を見せていた。この稜線から携帯で雷鳥荘に電話して宿泊予約を入れ、あとはぶらぶらと雷鳥沢へ下りた。宿までの最後の坂はよたよた、17時半到着、11時間のきついアルバイト、現役卒業以来ほとんど初めてのことだった。 なにはともあれ温泉、そして生ビールがうまかった。食後夕焼け、立山連峰アーベントロートに燃えるのを見て寝についた。

7月22日 雷鳥荘~室堂=富山=帰京

明ければ、山は一面の霧、今日は室堂まで30分歩くだけ。室堂はアルペンルートの観光客で大賑わい。バス、ケーブルカーを乗り継いで下に下りると、霧は消え、富山平野の猛暑が待っていた。立山駅からタクシーで立山博物館に回り、陸地測量部が剣岳の 頂上で発見した錫杖の頭と鉄剣などを見学した。隣の立山神社に詣でたあと、そのままタクシーで富山まで出て帰京した。大いに疲れた。
 反省点多い。ルート選択、ルート状態の把握不十分、装備不十分、すべてに見通しが甘かった。無事登り切れたから良かったようなものの、メンバーから言ってひとつ間違 えば破綻につながりかねない状況だった。最後のガレも空身で登ってザイルを垂らすよ うなことを考えるべきだった。ルートファインディングも不十分、確かに面白かったけど反省すべきだ。こういう山登りを目指しているわけではないし、こんなことをやっていたら事故につながる。