0611浅間隠山ねぎ合宿

 

 

0611浅間隠山ねぎ合宿

参加者  大谷尚史   木邨充宏   藤原国生   益崎健二郎   内田正明   伊東 毅

11月18日
伊東車宮前平駅(6:40)=東名川崎IC(6:45)=東京IC(7:00)=環8経由練馬IC(7:50)=上里SA(8:30)=
下仁田IC(9:00)=下仁田ねぎ買い出し=下仁田IC(9:10)=松井田IC(9:20)=旧倉渕村権田(10:20)=
倉渕村烏川河原(10:50)=二度上峠下登山口(11:20)~浅間隠山(12:30~13:10)=二度上峠下(13:45)
=烏川河原(14:00) 幕営

晩秋恒例のねぎキャンプ、今年は群馬県倉渕村の烏川の河原。内田さんが去年発見したプラッツ、登る山は浅間隠山と角落山。伊東車と大谷車の2台、環8渋滞で遅れ、首都高渋滞で大谷車はさらに遅れたので、ねぎ調達は伊東車のみで、松井田ICで合流した。地蔵峠を越えて倉渕村、権田で内田さん合流。まずテントプラッツ偵察、はまゆう荘前から林道に入ると、間もなく烏川の河原に4~5張り張れそうな平地があった。薪も豊富だが烏川の水がちょっと変だ、水は澄んでいるのだが底の石などに白い垢のようなものがついている。温泉の湯の花でもないのに、ちょっと気持ちが悪い。まあ、沸かせば大丈夫だろう。場所を確認して、次は浅間隠山へ、二度上峠下の登山口には車が10台余り停まっている。登っていくと、どんどん下りてくる人に会う。一応200名山ということ、簡単に登れるのでハイカーが多い。疎林の中のジグザグ道で傾斜もゆるく、登りやすい、内田さんと2人先行してどんどん登ったら1ピッチちょっと、正味1時間で頂上に着いてしまった。頂上は見晴らしが良く、目の前に大きな浅間山、左に鼻曲山、角落山、その向こうに八つ、奥秩父、浅間の右に鹿沢連山、四阿山、遠くに北アの鹿島槍、剣らしいのが見える。さらに右に草津白根、横手、雲がかかっているが谷川方面、さらに尾瀬の至仏、燧、上州武尊、日光の山、赤城、榛名と360度なかなかのものだ。後続の4人も到着、木邨・益崎はネパール帰りでトレッキングのビスタリペースが抜けないようだ。下りは30分、簡単な山のおかげで明るいうちに幕営用意が出来る。薪を集めて、天幕張って、タープも張り、大きなシートも敷いた。焚き火はがんがん燃える、すき焼きは肉をはじめ材料たっぷり、ビール、焼酎、どんどん食べ、飲む。ごはんは炊いたが誰も食べない、TUSAC LIEDを歌い、大谷持参の紹興酒を焚き火で燗、うまい。心配した雨も降らず、大谷は天幕に入らず、タープの下、シートの上で寝た。

11月19日
起床(7:00) 撤収・出発(9:20)=赤沢川林道入口(9:35)~林道終点(10:15)~赤沢川林道(11:00)=はまゆう荘入浴=
帰京

予報では朝から雨かと思ったが、まだ降りそうもない。それでは行かなければならない、と角落山に向かう。急な男坂とややゆるい女坂があるが、迷わず女坂へ。伊東車に全員乗って林道上流へ、赤沢の出合いの登山口に2台停まっていたので、ここから歩くことにしたが、この上の林道もしっかりしていて車で十分行ける。歩き出してしまったのでそのまま登るが意気が上がらない。1ピッチ足らずで林道終点、今日もまた内田さんと2人で先行、後続も到着したがもうみんな登る気がない。小さな雨も降ってきたので、ここで撤退決定。あとは温泉、はまゆう荘は横須賀市が建てた保養施設だが持ちきれず、地元に運営移管したもの、設備は立派、時間が早いせいか風呂も貸切り、こんな辺鄙なところにこんな立派なものを建てて税金の無駄遣い。風呂入って食堂で地元料理のお切り込み、きしめんのけんちん汁、まあこんなものかというところ。この間に雨が激しくなり、やめて正解ということになる。帰りは土砂降り、関越は故障車で渋滞だった。ねぎキャンプも4回目、来年はどこに登るかな。