ヨーロッパアルプス・オートルート1

 

2005年4月~5月
ヨーロッパアルプス・オートルート1

3年程前、TUSAC41年卒の同期6人が集まった時、突然フジクニが「オートルートに行こう」と言い出したのがことの始まり。大学を卒業後、全員サラリーマンとして仕事に追われる毎日を送っていたが、そろそろ定年の時期を迎え、ぼつぼつ山登りを再開した頃だった。現役時代も海外遠征には縁がなく、ヒマラヤなどは手が届かないが、ヨーロッパアルプスなら登れる山もあるだろう、と考えていたところだったから、一も二もなく賛同。以来、中澤の脳出血、益崎の怪我など予期せぬ障害を乗り越えてようやく実現した計画。藤原、木邨、益崎、伊東の4人がオートルートに、大谷、中澤の2人はシャモニーからグリンデルヴァルトなどスイス国内を回りながらツェルマットで迎えるサポートの任にあたった。
オートルートツアーには日本の旅行社や現地のガイド組合が募集するツアーなど、いろいろな形があるが、我々は全員60歳を越えた熟年組、若い人たちに混じって行くのは厳しいものがあるだろうと考え、4人揃えば現地ガイドがプライベート・パーティーを組んでくれるということなので、最初からその方向で立案した。現地シャモニーのガイド組合との折衝はフジクニがあたり、日本人には考えられない感性のフランス人を相手にさまざまな紆余曲折があったが、最終的に5泊6日の実動に予備日2日を加えた8日間、さらに出発の前々日にトレーニングツアー1日という日程となった。
出発前になる今冬のスキーシーズン、焼岳、苗場、乗鞍、吾妻、雨飾山などでトレーニング山行を実施、さらに高所対策として新宿の旅行社アミューズトラベルにある低酸素室に通い、トレーニングを各自数回実施した。また現地での万一に備え、全員がザイル、ピッケル、アイゼンを使用する山岳を対象とする保険に加入した。


参加者
A.オートルート隊
藤原国生、木邨光宏、益崎健二郎、伊東 毅
B.サポート隊
大谷尚史、中澤新吾




4月22日(金)出発
 成田発(10:30)LX169~チューリッヒ(着16:40 発17:45)LX2810~ジュネーブ空港(着18:40 発19:20)~シャモニー着(20:20)

8時10分成田空港第2ターミナル、チェックイン・カウンター集合。スーツケース、ダッフルバッグなどの他、スキー4台も無事積み込み完了。10時25分発のスイス・エアとJALの共同運航便でチューリッヒへ。運賃は往復15万8,000円+税金など1万4,000円で合計17万2,000円、航空券は渋谷のワールドウェイに手配を依頼した。
スイス・エアはスーツケースなど手荷物重量20kgのほかに、スキー1セットは無料というのがいい。まだ連休の1週間前ということで機内は空席が目立ち、一人で座席を2つ使うなどリラックス、大谷、藤原は空いていた最後部席に陣取り、水割りを楽しんでいた。
チューリッヒジュネーブ行きに乗り換え。天気が良く、窓からアルプスの山々が良く見える。ベルナーオーバーランドからマッターホルンなどのヴァリスの山々、最後にグランドジョラスなどモンブラン山群まで、みんな窓に釘付け。やがてジュネーブ空港に着いて、さあ下りようという段になったが、なかなか先頭の客が動かない。どうやらボーディングブリッジが故障してしまったらしい。我々は最後尾の席にいたので待っていたのだが一向に埒があかない。そのうちタラップ車がやってきて今度は最後部のドアに据え付けられた。スチュワーデスが下りていい、と言ったのでそのタラップから地上に下りたところ、係員がすっ飛んできて動くな、と言う。ここからほんの30mも歩けばボーディングブリッジの根元に行けるのだが、ここは滑走路の延長みたいな場所だから、勝手に歩かれては困るのだろう。そのまま、暫くそこで待機、やがてリムジンバスがやって来て、ようやく空港ビルに連れて行ってくれた。やれやれ、とんだハプニングである。
チューリッヒでもジュネーブ空港でも入国審査などなし、荷物も無事受け取って、あっけなく空港出口へ。ここでKunio Fujiwaraと書いた紙を持って待っていたATSの女性ドライバーに迎えられたが、ここで問題発生、我々一行はオートルート隊4名とサポート隊2名の合わせて6名なのだが、4人分しか席がない、と言う。車はワゴンタイプで運転手のほか8人が乗れるが、すでに他に4人の乗客が待っていて、2名があぶれてしまうことに。シャモニーのガイド組合を通して車を頼んであったのだが、先方はオートルートの4名分だけ手配して、残りの2名を忘れてしまったらしい。確かにジュネーブシャモニーの運賃はガイド料とともに4人分しか払い込んでいない。しかし、もともと我々は6人で行くと伝えてあったのだから、6人分の席を手配して当たり前のはずである。なんとかならないかと、女性運転手にかけあったが、一度シャモニーを往復してからでなければどうにもならない、と言う。仕方なく、大谷・中澤の2人は別途タクシーをチャーターすることにする。やれやれ、国外ではこういう行き違いは珍しくないとは言え、いきなり、そして予定外の大出費である。ジュネーブシャモニーのタクシー代、374スイスフラン、約3万5,000円。
ともあれ、4人はワゴン車に乗り込み一路シャモニーへ。ハイウェイの途中でスイスからフランスへ国境を越えるが、ここにも検問など一切なし。左右に切り立った岩山がせまり、やがてモンブラン山群の白い山が見えてくる。シャモニーの入り口付近で4人の相客が相次いで下車したあと、シャモニーの中心部をぐるぐる回って今夜の宿、ホテル・クレテ・ブランシュに着いた。
ここは益崎がインターネットを通じて探した2つ星のホテルで、表通りからちょっと引っ込んだ路地裏のようなところにある。4階建てで、ツインのベッドにバンクスという2段ベッドが付いている部屋があり、その2室に3人ずつ入ることにした。部屋割りは藤原、木邨、益崎の3人と大谷、中澤、伊東の3人。到着が遅かったので夕食はなしだが、飲むものもないので街に出て一軒だけあったテイクアウトの店から、ビールと水を仕入れてきてホテルの部屋でとりあえず、到着の祝杯。


4月23日(土)晴れ時々曇り
朝食8:00 登山鉄道シャモニー駅発11:00~モンタンベール駅着11:20~メール・ド・グラス着11:40 発12:20~モンタンベール駅発2:45~シャモニー駅着13:05  山岳博物館 ガイド組合打合せ18:30
 
今日は休養日、夕方ガイド組合で打合せの予定になっている。天気は晴れたり曇ったり、エギーユ・ド・ミディは見えるがモンブランは見えない。朝食前にシャモニーの市街を散歩、絵葉書とりんごなど買う。8時から朝食、ヨーグルト、ジュース、パン、バター、ジャム、シリアル、ハム、フルーツ、チーズ、コーヒー、紅茶 と味よし、量もたっぷり。これで一泊朝食つき26ユーロは安い。
モンタンベールへ行こうと街に出たら、丁度土曜の朝市をやっていたので、まずそれを見物。ソーセージ、サラミ、チーズ、チキンの丸焼き、野菜、果物など自家製のものをいろいろ売っている。なかに子どもたちが自分で焼いたケーキを売っていたので昼食用に買い、チーズやサラミなども買い込む。これにビールを加えて登山鉄道の駅に行く。モンタンベール行きは1時間に1本、観光客の他、ザイルを持ち、ハーネスをつけた女子学生などで大賑わい。メール・ド・グラス周辺で岩登りか氷河歩きでもするのか。電車はラックレールの急勾配をゆっくり登っていく。シャモニーの町を見下ろし、対岸のブレバンやエギーユ・ド・ルージュの景観が開ける。
20分でモンタンベール駅に到着、TUSAC旗を広げて記念写真、ドリュの西壁が正面、グランドジョラス、グラン・シャルモが良く見える。ゴンドラでメール・ド・グラスに下りると、氷河の氷にトンネルが開いていて中を見学できる。まあ、どうってことはない、子供だましのようだ。氷河の上に出て昼飯、先ほど買ったケーキやチーズを広げた。良い天気で暖かく、気持ちがいい。ここはバレ・ブランシュから滑ってくるコースの終点になるので、続々スキーヤーが下りてくる。氷河の上にはクレバスがありそうだが、バレ・ブランシュも一度滑ってみたいところだ。
登山鉄道でシャモニーに戻り、山岳博物館を見学。昔の道具や写真など、字が読めないのでいまいち感動に至らない。小腹がすいたのでカフェ・ヴァレンチノという店のテラスでピザとビールを頼んだが、なにが食い違ったのかウエイトレスの態度がよろしくない。6人で57.7ユーロ。
ホテルで一休みしたあと、約束の18時30分、ガイド組合に行く。フジクニを散々悩ませた Ms.Mireile とはいかなる女性かと興味津々だったが、現れたのは以外に若く、可愛らしい女性だったので一同びっくり。いろいろ言いたいこともあったのだが、なんとなく気合が抜けたようだ。それはともかく肝心のガイドを紹介される。キム・ボーダン(Kim Bodin)31歳と若いが、親子2代のガイドで13歳からガイドのキャリアがあるということで、実力はあるようだ。もちろんシャモニー生まれのシャモニー育ち、このガイド組合はシャモニーのガイドしか入れない組合で、もっとも格式・権威のある組合だということである。シャモニーにはこの他、色んな国籍のガイドが属するインターナショナルなガイド組合があるそうで、どちらのガイドに頼んだら良かったのかは不明。何となく伝統的なこちらに頼むことになった。と言うより全面的にフジクニにお任せ、だったので、その辺の事情はよく分からないというのが実情。
それはともかく、オートルート5泊6日プラス2日とトレーニングツアーも通しでみてくれることになったのは幸いだった。大谷が我が熟年パーティーの体力やTUSAC流登り方について縷々説明してくれる。どこまで理解してくれたかと思ったが、結果的には我々の力に合ったペースで歩かせてくれ、休みも適当にとらせてくれるなど、十分に配慮してもらえたのはありがたかった。

顔合わせが終わって、明日がトレーニングツアーだが天気は良くないようだ。行き先はあすの天気を見て決めるそうで、バレ・ブランシュは望み薄。その前に装備チェックをするので、明日は9時にガイド組合集合となった。
夕食は中心街にあるLa Taverna オニオンスープとビーフカツを頼む、カツはいまいちであった。他の人もいろいろ、6人合わせて214.4ユーロ