オートルート6

 

4月29日(金)晴れ、風弱い
朝食(6:00) プラフルーリ小屋発(7:10)~ルーのコル(7:40)~ディス湖のトラバース中間、休憩(8:25)~パド・シャー(9:40~10:10)~シェイロン氷河台地、昼食(11:20~12:10)~ディス小屋(12:46)

今日も快晴、前夜キムが言ったのは7時半出発だったと思うが、朝一番に朝食を食べて早々と準備が出来たので7時10分に出発。30分の登りでルーのコル、眼下にディス湖が見えるが水がない、地図のイメージとは大違い。ここからディス湖の湖岸近くまで下りてトラバースして行くのかと思ったが、キムは斜面を右へ右へと捲いて行く。下の方をトラバースしているパーティーもいるがキムは高度を下げない。なるべく登り下りを少なくして効率的なルートを選んでいるようだ。体力に不安がある熟年パーティーにとっては、このルートどりには随分助けられた。パドシャーまで6kmもあるこのトラバースは雪の状態によって雪崩の危険が指摘されているが、まだ朝早いのでその心配はない。でも天気がいいので強い日差しを受けた雪はどんどん軟らかくなっていく。トレールの上は踏み固められているが、一歩トレールを外すとズボッともぐる。スキーを履いていても膝までほとんど抵抗なくもぐってしまうし、スキーで踏み固めようと思ってもスカスカでまったく手ごたえがない。こういう雪は国内ではあまり経験がない。思うに湿度が低いから、雪は陽射しを受けて融けるはしから水分が蒸発してしまうのではないだろうか。密度が薄い雪で非常に不安定な感じがする。このトラバースの地形もそれほど急な斜面ではなく、そんなに雪崩が出るように見えなかったのだが、この雪の状態を見てなるほど、これでは支持力がないので簡単に崩れ出すかも知れない、と納得させられた。途中1回小憩をとっただけで後はノンストップでパドシャーまで突っ走る。パドシャーは猫の足跡という意味だそうで、シェイロン氷河の下流で狭まったゴルジュがディス湖に出るところで、左岸の岩尾根の途中が平らに切り取ったようなテラスになっている。雪崩の危険地帯を脱して、休憩するのに最適の場所。我々に続いて次々に外人パーティーがやって来る。ここからディス小屋までは600mの登り、最初急な斜面を登ると広いシェイロン氷河の左岸台地に出て、正面にモンブラン・ド・シェイロンの氷のフェイスが光っている。登りになると暑さが募る、Tシャツ1枚、バンダナの鉢巻スタイルで凌いだ。1時間歩いたところで大休止、昼食、あと1ピッチを残すだけで危ないところもないので、ゆっくり出来る。ディス小屋はシェイロン氷河左岸の岩山(テート・ノアール?)のかげの高台にあるが、小屋が見えてからが長かった。昼過ぎに着いたので時間がたっぷりある。シール、靴、衣類などを広げて天日干し、テラスで日向ぼっこしながら3人はワインで乾杯、伊東は指をくわえて我慢。代わりに小屋で売っていたオレンジを買って食べた。1個1スイスフラン(95円)と水(8f)やワイン(18f)と比べてずいぶん安いのにびっくり。部屋は2段ベッドの定員13人、我々のほか5人で合わせて9人、下段を占拠出来たので今日もゆったり。夕食は前菜、スープ、サラダとメインはソーセージとハムとポテトの料理で、シャモニーで食べたサボア料理と同じようなもの、それにデザートのチョコレートムースと今日も豪華版。一緒のテーブルに座った外人組と分け合って食べた。

4月30日(土)晴れ
朝食(5:40) ディス小屋発(6:40)~シェイロン氷河底(7:00)~クトー着用(8:00)~プラトー、クトー外す(8:50~9:20)~ピンダローラ山頂(11:20)~ヴィニェット小屋(12:03)

朝は5時起き、5時40分に食事。シリアル、パンとバター、ジャムにチーズ、ジュースと紅茶、コーヒー。6時40分出発、今日は全行程中の最高点、ピンダローラ3790mを越える。キムに、登りに厳しいところがあるから、クトーをすぐ出せるようにザックの雨蓋の下に入れろ、と言われた。なるほど、ザック本体の口紐は大抵2重になっているので、この中間に入れればクトーとかアイゼンなど不規則な形のものは便利だ。いろいろ勉強になる。
まず小屋のある高台からシェイロン氷河へ下りるが、朝早いのでガリガリに凍っている。氷河の底はまっ平らなので、勢いつけて滑り込み、止まったところからシールを着けた。この時フジクニのストックの手革が切れたが、キムが7つ道具のついた工具を取り出して手早く直してくれた。さすがガイド、こういうところも参考になる。でもあの工具はちょっと重そうだったな。ここでクトーをつけるのか?と聞いたら、珍しくあいまいにどちらでもいい、と言う。まだ傾斜が緩いので3人はクトーをつけなかったが、フジクニだけ早々とつけてガシッガシッと歩きだす。でもクトーをつけるとスキーが滑らないのでストライドが伸びない。みるみる、前の3人との間があいてしまった。もう少し登れば4人ともクトーをつけることになるので、そのまま歩いていったが、このちょっとしたハンディがその後のフジクニのペースに影響したような気がする。
ルートはモンブラン・ド・シェイロンの左、ドゥ・ツェナ・レフィアン氷河を登るのだが、氷河の中央はズタズタのアイスフォールになっているので、左端を迂回しながら登って行く。このへんはもしかするとヒドゥン・クレバスが隠れているかも知れない。キムがトレールから絶対外れないように強調する。氷河を登りきり、プラトーに出て一息、ここでピンダローラ北壁の左手にマッターホルンとダン・デランが初めて見えた。まだまだ遠いが、ようやく最終目的地が見えるところまでやって来た。広いプラトーだがここも氷河の上、休む時にもスキーは外すな、と言う。休む時、踵をはずしてスキーを裏返してトップを自分の方に向けて座るといい、と言われた。やってみるとなるほど、快適である。こういうこまかいことをいろいろ教えてくれる。
ここからピンダローラへはプラトーをいったん右手に向かった後、反転して頭上にセラックがせり出している急な斜面をトラバース、ブレネイのコルに続く緩斜面に出るのだが、このトラバースが問題である。傾斜が急なのでクトーをつけて一歩一歩慎重に進むが、右手頭上には巨大なセラックが半分割れてせり出している。あれは、いつか割れて落ちてくるのだろう、その証拠にルートの左下には以前に落ちたセラックの残骸が残っている。まだ時間が早く日も当たっていないので、まさか落ちてくることはないだろうが、あんなのが来たらひとたまりもない。ここは午後には通りたくないところだ。
トラバースが終わると再び広い雪原が広がる。クトーを外し、ブレネイのコルの方に巻き込みながら最後の登り、緩い斜面をスキーのままピンダローラの頂上3790mに達した。頂上から東方、今まで見えなかった景色が広がる。名前が分かるのはマッターホルン、ダン・デランをはじめダン・ブランシュ、ヴァイス・ホルンなど、西にはグラン・コンバン、遠くにモンブランが見える、南のイタリア側の山はどれがどれだか分からない、まさに山また山である。今朝ディス小屋を一緒に出た連中が、たくさん休んでいる。我々も一休み、いい天気で暖かい。
このあとはヴィニェット小屋へ下るだけ、頂上から南東に向かった後、左にセラックの下を回りこむ。ここも頭の上に大きな氷が張り出していて気味が悪い。ノンストップで滑りぬけ、ヴィニェットのコルに出る。ここからヴィニェットの小屋までは狭い岩尾根が続いている。小屋自体が両側切れ落ちた岩稜の上にあり、どちらに落ちてもただでは済まない。丁度お昼に着いたので、小屋の食堂で昼食を頼む。ポテトを炒めた料理で3日前の固くなったパンより、ずっと美味しい。日本の山小屋ならラーメンやカレーライスといったところか。
天気がいいので、スキー、靴、シール、その他濡れモノを広げて干す。小屋に入るとゴムの小屋履きに履き替え、ザックは棚に入れ、室内で使う装備類だけ籠に入れて寝室に持ち込む、これがスイスの山小屋の一般的な方式らしい。我々の部屋は通路の両側に二段のカイコだなが並んでいて、20人余り入れる大きさ、4人で片側の下段に入った。今日は土曜日、午後になって続々登山者がやって来る。ここはオートルートはもちろん、北のアローラ氷河や南のオテマ氷河、ブレネイ氷河からも登って来られる十字路のようなところなので登山者が多いようだ。我々の上、向かい側の上下段、全部に客が入った。まさか日本の山小屋のようなことはないだろうと思ったが、これ以上増えたら大変だと心配した。幸い、それ以上詰め込まれることはなく、下段5人分くらいのスペースを4人で使うことが出来た。いびき対策として持っていった耳栓が役に立った。音が聞こえなくなるわけではないが、音量が半分以下になるので、ほとんど気にならなくなる。そう言えばキムも装備チェックの時、耳栓は必需品だと言っていた。
小屋の横にはヘリダムがあり、日向ぼっこしながら景色を眺めるのに好適、目の前のピンダローラの東面、セラックの斜面が逆光に光っている。また明日登るレベックのコルへの氷河が正面に見える。写真を撮ったり、日が翳るまでのんびりしていた。
この小屋の最大の問題はトイレである。小屋から20mほど離れた断崖の上にあり、そこへ行くまでの通路が狭い。今は鉄の手すりが出来ているのでいいが、かつては相当怖かったらしい。トイレそのものも断崖の上に乗り出

出すように建っていて、個室は3つあるが、うち1つは使用不可、残り2つを覗いてみると、便座の穴の下は吹き抜けで下の断崖が丸見え、高所恐怖症の人は大変だ。それに風が吹いたらお尻に直撃、水分などは逆に舞い上がってくるのじゃないか。排泄物は空中を落下して崖の下に消えてしまえばいいのだが、ピンクのペーパーと一緒に崖の途中の岩に大量にへばりついている。うーん、これは富士山をどうこう言えないぞ。便座の回り、足を置くところなども随分汚れている、当然匂いもかなりのものである。というように相当問題である、小屋を建てるスペースがギリギリでトイレはここしか場所がないのかも知れない。しかし多くの登山者が利用する小屋だけに、この状態では観光立国、山岳立国スイスが泣くであろう。
トイレの印象が強すぎて、夕食のメニューを忘れてしまった、たしかパスタだったかと思うのだが。それはともかく夕食の時、キムと明日でオートルートのツアーが予定通り終わった後の話をする。最初、キムはオートルートが終わったら、その日にシャモニーへ帰ると言うのでびっくり、我々はオートルート5泊6日プラス予備として2日分のガイドフィーを払っているので、あと2日付き合ってもらえるものと考えていたから、そのことを話すと、キムはその話は聞いていなかったと言う。またしてもミレイユの手抜かりである。でもそう言うとキムは分かってくれて、1日休んだ後、もう1日ブライトホルンをガイドしてくれることになった。よかった、これで目標としていたことを全部達成できる見込みになった。
夕方になっても次々に登山者が到着、食堂はいっぱいになった。例によってキムが明日の予定を告げる、明日は長丁場、出来るだけ雪の良いうちに通過したいから、朝食は5時、5時半出発となった。トイレは夜のうちにすませておけ、と言う。それがそう都合よくいかないから苦労しているんだな、こちとらは。