オートルート2

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4月24日(日)曇り時々小雨
ガイド組合集合9:00  
ミディゴンドラ中間駅(プラン・ド・エギーユ)発11:30~エギーユ・ペーニャ下11:55~ブレチェール氷河下(12:40~12:55)~ブレチェールの尾根、シール外す(13:30~13:40)~中間駅下、シール着14:20~中間駅15:20

9時、ガイド組合で装備チェック。スキー、靴、衣類などの他、ザックの中身を全部出して、一人一人点検を受ける。ガイド組合で出している装備表にストックは伸び縮みしないものとあったが、伊東が持って行ったブラックダイヤモンド製の2段式のストックはこのジョイントに限りOKということでホッとした。流れ止めはストッパーがあれば不必要と言うことで取り外す。装備類は大変だった、次から次へと不必要の宣告を受ける。シールの糊面に貼るメッシュ(シールは糊面を貼りあわせる)、シールの袋、クトーの袋(クトーはアイゼンにかませて一緒に入れることで、あの邪魔な嵩ばりが解消)、スパッツ、手袋はオーバー手袋・毛手袋・薄手袋各1のみでスペア不要、カラビナ・シュリンゲも各1のみ、シュラフシーツ(ガイド組合の表にあったのだが)、ダウンのアンダーズボン、予備電池(リヒトの電池は新品に入れ替え)、地図・磁石(ガイドが持っているから不要?)ワックス、工具(これもガイドが持っている)、その他、その他、次々に不要品の山に。包んでいるポリ袋なども最小限に減らされる。みるみる装備の嵩が減って、ザックがぺちゃんこになった。重さは6~7kgくらいか、いつもの半分に近い、この軽さなら、長丁場でも歩きとおせる気がする。これまで、使わない装備など、ちょっと多すぎるような気もしていたがここまで減らされるとは、びっくり、と同時にその徹底ぶりに感心した。
装備チェックの間も小雨が降ったりして、生憎の天気になってしまったがトレーニングツアーはやらなければならない。要らなくなった装備をホテルに置いて、エギーユ・ド・ミディのゴンドラ乗り場に集合。ミディまでは行けないので、中間駅まで登り、シャモニー針峰群の根元をトラバースしてモンタンベールに続くルートに行くことになった。中間駅までは大谷・中澤も来て、二人の見送る中、ハーネス・ビーコンを着け、シールを着けて出発。まずエギーユ・ド・ペーニャ目指して登る。この中間の緩傾斜帯は意外に広く、2300mから2500m付近まで高度差でも200m以上ある。
この登りでまず、山回りキックターンの指導を受けた。これまでの我々のやり方はまず、山側のスキーのトップを振り上げ、テールを突きたてる形で回し、その後、谷側のスキーもトップを上げる形で回して山足の上に引き付ける形でやっていたが、それだと特に谷足を回す時、傾斜がきつい斜面では谷側に体重がかかって転倒の危険があるという。教えてくれた新しいやり方は、スキーを振り上げるのではなく、膝と足首を曲げてスキー全体を引き上げるやり方で、特に足首を柔軟に使うのが要諦、体重は常に軸足の上にあるので急傾斜面でも安定しているという。この膝と足首の使い方がなかなか難しく、特に谷足の回し方のタイミングを会得するのが難しい。我々は4人ともディアミールのビンディングでリターンスプリングが付いているため、テールが自動的に戻り、従来のやり方でもある程度なんとかなるが、新しいやり方では逆にトップが下がって刺さってしまう傾向がある。最近の締め具はリターンスプリングのないものが多くなっているが、ガイドのキムの締め具はその最たるもののひとつ、こういう締め具では必須の技術のようだ。まあ昔のカンダハーも同じことなのだが、その頃は余り考えたこともなく、急斜面では山回りキックターンは出来なかったと記憶している。ともかく、この新しい技術をものにすべく、キックターンを繰り返して登って行った。
ペーニャの根元まで登ってから左にトラバース開始、キムは一人一人間隔を50mあけて来るように指示。ペーニャからブレチェール針峰にかけて岩場の上に懸垂氷河がかかっており、下界の雨がここでは雪、急なスラブからは小さな新雪雪崩も出ている。一人が埋まっても残りで助けるということ。キム、益崎、木邨、藤原、伊東の順に進む。雪の状態はうっすら新雪が乗っているが、踏むと破れるハーフクラスト、歩くには問題ないが滑るには厄介だ。ブレチェール氷河の下を抜け前方にM針峰を見ながら進み、このままモンタンベールまで行くのかなと思ったが、グラン・シャルモの下あたりの尾根に出たところでストップ。その先が雪庇になっているらしく、キムがなにかやっていたが、状態が良くないのか、ここで引き返すことになった。地図の2525mとある付近かと思うがガスがかかって、よく分からない。シールを外し、糊面を二つ折りにして首にかけ、ヤッケの中に入れろ、と言う。こうすれば出し入れが早いし、シールが凍ることなく、後で使う時に糊が良く効く、ということである。確かに言うとおりである、でもちょっと首の周りがガサガサして、多少の不快感はともなう。
そこから元来た方向、やや下り気味に滑って行く。雪の状態が悪く滑りにくいのでスピードを出さず慎重に滑った。ゴンドラ中間駅の100mほど下まで戻ってから、再びシールを着けて駅まで登り返す。ここでもキックターンの練習を盛んにやった。
往復4時間弱、こうしてトレーニングツアーは終了。我々の動き、滑りなど、キムはどう見ただろうか、合格かどうかは分からないが、ともかくオートルート出発の最初のハードルは突破したようだ。最後に装備の再点検をし、藤原のストックのリングに亀裂が入っているのを見て交換するように指示、4人のスキーの滑走面を見て、出発前にワックスを塗り直しておくようにと、チューンナップの店を教えてくれた。ついでにシャモニーで郷土料理のうまい店はどこか教えてもらった。
下界に下りて、その足で教えられたロシニョール・プロ・ショップに行きワクシングを依頼、伊東は合わせてエッジの研ぎ直しも頼んだ。両方で14ユーロ。次にスネルスポーツに行き、藤原のストック・リングの交換をしてもらう。こちらで日本人がよくお世話になるという神田さんがいて、てきぱきと手当てしてくれた。オートルートに行くと言ったら今年は雪の状態が悪い、先日もミシャベルで事故が起きているから十分気をつけるように、と言われた。
ホテルでシャワーを浴びた後、キムに聞いたサボア料理の店、La Bregerie に行く。暖炉に火が燃え、シックな作りの感じのいい店だ。メニューを見て、女主人?に質問しながら各自思い思いのものを注文する。サボア料理はチーズとソーセージ、ベーコンにポテトと言うのが基本のようで、ホンデューのように融けたチーズに絡ませて食べるものや、皿いっぱいのポテトの中に大きなソーセージが1本まるまる入っているのやら、色々出てきた。味もよく、ボリューム満点、ワインも3本、満腹した。6人で189.7ユーロと比較的安いのもいい。

4月25日(月)曇り時々雨
休養日
天気はパッとしない、山は見えず、時々雨が降る。午前中、銀行でTCのドルをユーロに両替、200ドルが138ユーロ、1ユーロが1.449ドルになるので円に換算する(1ドル105円として)と1ユーロが152円になる。随分高いが仕方がない。絵葉書を投函後、スネルスポーツに行ってプラティパスの水筒2リットルを買う。これもキムに薦められたもので、水は余裕のある大きい水筒をザックに入れ、小さい水筒に適宜小分けしてポケットに入れておき、いつでも飲めるようにしておくといい、と言われ、4人揃って購入、1つ9.5ユーロ、1300円余り、日本よりちょっと高いかな。あとファーマシーで靴ずれ防止用のエラスティックテープや洗顔、手拭用のウェットティッシュを探したが、薬局の値段は随分高いような気がする。テープはフジクニが代表して1本購入、ウェットティッシュは馬鹿らしいのでやめにした。昼食はパスタ、6人99.9ユーロ。
午後、散歩がてらシャモニーの北にあるレ・プラの教会へ。シャモニーの街を抜けたところからアルブ川沿いの歩道に入り、のんびり20分ほど。レ・プラの街も観光客などいないのでひっそり閑としている。レ・プラの教会も肝心のドリュが見えないのでは値打ちが半減。帰りもぶらぶらと別荘地のようなところを歩いて帰ってきた。頼んでいたスキーを受け取り、17時過ぎ、ガイド組合に行ってキムと最終の打合せ、明日の出発は12時と決まる。
夕食は中華、雪園、世界中どこに行っても中華料理だけは間違いないということだったが、ここは例外だった。経営は中国人のようだが、出てきた料理はなんともいただけなかった。175,8ユーロ。
夕方、右足の股関節が痛み出す。昨日のトレーニングでキックターンの練習をやり過ぎたのか、レ・プラの帰りくらいから痛み始め、じっとしていても痛むようになってきた。明日が出発だと言うのに心配である。温かい風呂に浸かって、痛み止めのロキソニンを2回飲んで寝た