丹沢水無川本谷

1960年9月

 

参加者      島田富夫    伊東 毅

 

9月23日

新宿発(6:20)=渋沢(7:25~7:40)=大倉(7:55)~源次郎出合(9:00~9:15)~F4上(10:10~10:20)~沖源次郎出合(10:30)~金冷やし出合(10:45)~F8下(11:00~11:45)~塔ノ岳(12:45~15:30)~一本松(16:20~16:25)~大倉(17:00~17:05)=渋沢(17:15~17:23)=新宿(18:28)

 

 6時10分新宿駅に着く、新調のチョッキ、昨晩急いで詰め込んだサブはまるで重力をうけていないようだ。島田はすでに来ていた。ホームは大分人が多く、ちょっとうんざりさせられる。電車の中も周りの女子の一団が騒がしい。渋沢からのバスは最前列に座った。バスは歩いていく人を次々に追い越していくが、ずいぶん大勢歩いている。

 バスから降りると行列を避けてトップに出ようと2人申し合わせたように、猛烈なピッチで飛ばす。猿渡の堰堤上の渡渉で人ごみを脱し、水無林道をぐんぐん飛ばした。平坦な道なので割と楽で1時間もかからずにカラヒゴの出合に着く。モミソ山荘があり、右岸にはモミソ沢出合の懸垂岩があり、モミソとペンキで書いてある。ここからちょっと急になるがひと汗かくと赤いバンガローの林立、仲小屋、水無山荘と色とりどりの小屋の群れを抜けると林道は尽き、源次郎の出合だ。遡行開始を前に十数人が休んだり足ごしらえをしたりしている。我々は山靴のまま遡行だが。1時間ハイスピードできたので当然立てる。島田はここまで1時間で来るとはと驚き、喜んでいた。

 ガムを口に含んで遡行開始、平凡な河原を岩から岩へと歩く。ちょっと足が辛くなってきた頃、F1が見える。思わず緊張、10m、下まで行くとちょっと圧倒される。先行者の登攀を見て。島田が取り付いた。いったん考えたような風をしたが、またすぐ慎重に登っていく。次は自分、ホールドが浮いているところはないが、慎重に体を上げる。2mほど登ったところでちょっと水をかぶった。終始左壁を登り、不安を感じるところもなく落ち口に立てた。

 またしばらく河原を進み、F2を見る。もう圧倒されるなんてこともない、島田もためらうことなく取り付いた。右壁も登れるようだがガイドブックに忠実に左にルートをとる。登り際で右足にびっしょり水を浴びた。ズボンがぐっしょり、いい気持ちではなかったが、ホールドは十分で楽に越えた。これから現れるF3の難所を思って緊張して進む。

 いよいよF3、今までの滝と違った感じで大石が落ち口に座り込んでいる。右壁に取り付き、2mぐらい上がり、左へバンドを伝って登り加減にへずる。それよりもなお先の大石の下へ出るバンドの前で、島田がナーゲルを効かせようと探っていたが「駄目だよ」と悲痛な面持ちを見せる。トップを交代しようと言ったが、伊東は取り付き点1mのところから島田の辿ったバンドを行かず、まっすぐ登っている岩溝を見上げる。溝は深くないがホールドは十分と見て登り始める。胸の辺りがつかえる感じで、下から島田が「登れるか?」と聞いてくる。それに答える代わりに体をずり上げると、上のバンドの縁の岩に手がかかり、一気に登りきった。次は島田、上からアドバイスしようとしたが滝の音に消されて聞こえないようだ。しかしそんな必要もなく島田は苦もなく登ってきた。ここからは広いバンドを落ち口へ辿るだけ、簡単に上に出られた。

 小さな滝を過ぎ、F4、この壷で右壁の取り付きに渡ろうとして苔に足をとられて危うく水の中に足を踏み込みそうになった。泡を食ってもとの岩に飛び降りたが、ここは島田は平気な顔をしている、ビブラムの弱みである。もう1回渡り直してバランスをとる。島田に続いてこの滝を登ると、すぐ上にもう1つ滝が落ちている。同じく右壁をへずるように登る。岩に慣れたのか快適である。遡行開始からほぼ1時間経過したので1本立てる。

 F5、F6と快適に越し、沖源次郎の出合を過ぎ、F7も不安なく過ぎ、ちょっと長い河原歩きの末に大滝を見出す。何かしら知れぬ嬉しさがこみ上げ、怖いものを見る胸躍る思いでひとりでに足が速くなる。滝の直下にザックを下ろして滝を眺め渡す。滝の下の岩には登攀禁止と書いてある。20mの滝はさすがに壮絶だ、水は落ち口から中段あたりまでダイレクトに落ち、明らかに落ち口の下はハングである。この正面を登ることは絶望的に見えた。捲き道は左、右いずれからもついている。しかし、左壁のいわゆるチムニーに達する壁には望みがありそうなので、右手の捲き道から滝の中段ぐらいの高さに登って壁を眺めて見た。右から水の裏を通ってから例のチムニーへ登っていくバンドが印象的、しかしこのバンドを辿るのは無理のようだ。水をかぶらなければならないし、バンドそのものが外傾している。右の方にもちょっとしたバンドがあるがそこはなおさら無理である。結局左の壁をチムニーまで登る以外にないが、ルートを観察した結果、登攀可能と判断して捲き道を下りた。島田も同様、強気である。ひとまず昼飯、腹ごしらえしてから滝の基部に立った。

 大分ガスが出ていたが登りだす頃には日も射してきた。まず島田が取り付く、がこの岩壁基部はスタンスが無く、岩が脆く体が上がらない。しばらく足を引っ掛けようとしていたがあきらめてトップ交代する。伊東もここではちょっと戸惑ったが不安定な岩になるべき体重を掛けないように足を乗せる、と言うより引っ掛ける。壁を押すような感じで踏ん張って体を持ち上げると、うまく上の大きなスタンスに立てた。そこから1歩上がり、右へ戻り気味のトラバースで例のバンドに出ようと思ったが、そこへ行くためのホールドが脆く、手で引っぱってみたらグラリときたのでこれは駄目。仕方なく一歩戻り、今度は左にトラバース、砂がついて余りいいスタンスではないが、そこを越してちょっと上がると、大分楽になって十分休めるスタンスがあった。テラスというほどではない、ここで島田を待った。下では後続パーティーが見上げているが、ここまで来れば後は楽である。島田はカメラを出して写真を撮っている。一息ついてまた登るが、もう傾斜を持ち、やすやすとチムニーに入った。チムニーは大分幅が広い、わけなく抜けて下からの捲き道と一緒になり、落ち口に立つ。見下ろすと大分高い、しかし別に恐怖感はなかった。登っている時も下を見て怖くなるなんてこともなかった。

 岩に慣れてきたからだろうか、完全な直登というわけにはいかないだろうが、「一応の直登ルート」を征服した満足感が湧きあがって顔がほころぶ。続いて最後の涸滝に着く。涸滝とは言え水が落ちている、15mほどか、しかし大滝を登った気持ちがこの滝を軽く突破した。右壁を登り、左にトラバースするところで水を浴びた。そこを少し登って、また右にトラバースするところで島田が写真を撮る。余裕たっぷりとなってきた。上に出てしばらく行くと水が切れる。わらじの残骸が嫌な感じだ。最後のガレも意外に短く、草付が現れたかと思ったら、表尾根の一角だった。塔へは目と鼻の先、さすがに人が多い、塔に着くといっそうひどい。

 予定より大分早く尊仏山荘に入り、近藤君を待つには時間がありすぎるので島田は鍋割を下りてみようと言ったが、この時ちょうど腹が痛くなって気が進まない。島田には悪かったが腹の痛みは何かする気力が湧いてこない。山荘は混んでいた、昼寝をするでもなく座って待っていたが近藤君はなかなかやって来ない。3時半まで待ってついに会えず、残念だったが下ることにする。

 大倉尾根、腹の痛みも収まって、自然と足が速くなる。2人、3人と抜いていく、ここでも人の行列である。一本松で立て、さらに下り、出発点に戻ってバスで渋沢へ。電車に乗ると、言い知れぬ充足感に満たされる、全滝直登、完全遡行、来てよかった。

 

 

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水無川スケッチブックより