富士山 TUSAC新人歓迎山行

富士山 TUSAC新人歓迎山行

 

1962年4月

 

参加者   TUSAC OB 現役 CL内田 博

 

4月28日

 

 TUSACに入って初めての山行、荷物は5~6貫ぐらい。7時10分発の甲府行き、30分前に行くと誰も来ていなかった。今までの山行と違って、いろいろと緊張して落ち着かない。大月で乗り換え、吉田から貸切のバス。小さいので人とザックでいっぱいになった。にぎやかに歌いながら馬返しに着く。

 まず、体操である。少し妙な気持がしたが、なかなかいいことだと思った。その後がいけない、暑い思いで30分も歩いたところで、山仕事の人に、道が間違ってる、と言われて逆戻り、なんとまあ、おそまつな話だ。馬返しまで、ふり出しに戻るである。そこで昼食、円陣を作って、自己紹介ももう何度したかな。45分1ピッチというのは普通、ザックも特に重くないし、それほど苦しくないのだが、気分的にいやだな、バテるはずはないのに、バテはしないかなどと思ったりして。

 今度こそ正しい道を行く。平凡な登り、ザックが締まりすぎではないかと言われたが、今までこういう背負い方をしてきたから、よくわからない。45分を少しオーバーして休憩。15分休みは長くて楽だ。2ピッチ目(実質3ピッチ)では、少しバテだす者もあったが、こちらはいつも通り、足が暖まっていい調子。

 5合目で休憩、その後テント場までは、ほんの少し。御中道の上にテントを張る。水もちょろちょろある。テントは8人天に6人天4つ、入ったのは6人天で4年生が2人、2年生が2人、うち1人は出戻りなので1年部員扱い、実質新人は自分一人だった。テント生活は慣れていないので、いろいろまごつく。米はとがないで、そのまま炊いてしまう。簡単だけど、あまりうまくない。水のない時はしかたないけど、水が豊富なら、やはりうまい飯にしたい。でも、この飯にも慣れないといけない。夕食はおでん、こんな作り方をしても、不思議とうまい。

 食後8人天に集まってミーティング、歌を唄って、話をして楽しかった。初めてのことばかりで緊張するけど、だんだん慣れてくるだろう。テントに帰って、明日の用意をしてシュラフに入る。吉田の灯が足下にきれいだ。

 

4月29日

 

 寒かった。眠りにくくて、1時間おきぐらいに目が覚めてしまった。高い金を出したシュラフにしては寒いな。起きてすぐ飯の用意。ポタージュだって、味なんてあまり感じない。ともかく食ってしまう。立ち遅れないように、ように思っていたおかげで、しないですんだ。体操して出発、八角堂を過ぎて、ジグザグ登り、背中が軽いのでひょいひょい。頂上の近くは雪煙が舞っている、あの中に入ったらひどいだろうな。真正面に大沢が見える、大きな沢だ。夏道どおり登るが、風が強くなってきて、時々バランスを崩されそうになる。雪が当たってほほが痛い、あごが冷たい。道はほとんど露出しているが、雪の出たところでは上級生が足場切り。

 7合目で昼食して引き返すことになる。つまらないけど、どうせ、だめなんだからしかたがない。リンゴを落としたら、雪の上をはね転がって下まで行ってしまった。昼食後、アイゼンをつけて、リンゴの落ちて行った雪渓を下る。途中でアイゼンワークの訓練をする。緊張していれば、たいていうまく歩けるようだけど、普通にして、ちゃんと歩けるようにならなきゃな。帰りに遭難慰霊碑を見に行く、雪崩は怖いけど、あまりピンと来ない。

 テントに帰って、昼食の2を食べる。そして撤収、パッキング、今度も立ち遅れなかった。ザックはずいぶん軽くなった。下りは3パーティーに分かれ、最初の組、馬返しまで1ピッチ、汗をかいた。

 後続が着いて体操、バスはタイミングよく来た。きれいな、大きな富士を見上げて、あらためて登りたかったと思ったけど、最初から無理な話だから、しかたがない。富士急のストで大月までバス、三つ峠へ行く人は途中で下りる。このまま帰っちゃうのは、あっけなくて何だかつまらないような気がした。物足りない感じはあった。混んだ電車で帰り、ルームまで行って共同装備を返す。初めての山、まだ何て言ったらいいのか分からない、もっと何度も行って、それからいろいろ考えよう。