春山横通尾根

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春山横通尾根

 

1963年3月

 

参加者   4年 高井 佐藤 都留 柳沢保

      3年 牧野内(L)

      2年 鹿野 井上邦 井上浩 小沢 池戸

                      1年 伊東 大谷 大坪 笠原 木邨 中沢 平松 藤原 益崎

                      OB 中村岳  西谷 村田

 

出発~C2

3月12日 第一陣12名、有明よりトラックをチャーター。四発より、五発まではトレールあり、順調に入ったが、五発から冷沢に入った途端、膝までのラッセル、45kgの荷を背負ってのラッセルはシビア。BHは伐採用の小屋。

 

3月13日 BHより真正面の尾根をとりつきとし、第1パーティーは道づくり、ラッセルにしごかれる。残りは五発、四発へ逆ボッカ。朝のうち雪、午後晴れ上がる。横通尾根直下にデポ、第2パーティーは五発よりデポまで荷上げ、四発の荷は全部上がる。

 

3月14日 中村、鹿野、大谷、伊東、益崎の5名、C1入り。デポを通過し、横通尾根の傾斜の強くなる前のコルにC1建設。西谷以下3名サポート、ラッセルはデポから尾根に出るまでのみ、C1に入った5人のうち3人はデポまで逆ボッカを行う。快晴の行動日和、カマボコ天に5人の夜。

 

3月15日 C1の5名、各自20kgを背負って6:30出発、ラッセルは膝ぐらいまでだが、ところどころ落ち込み、また傾斜が強いので消耗する。ナタ目、赤い標識をつけながら登り、森林限界に達すると傾斜が緩み、ラッセルはひざ下だが大分固くなって、クラストしたところもある。万歳ピーク、カンヅメピーク、ガッカリピークを越え、横通岳への急な登りの手前のコルにC2用の荷をデポした。この辺はもう大分クラストしている。ガッカリピークは一番大きいが、下からくると、やれやれ大分登ったわいと思って上まで来ると、次に100mも下って横通岳のコルになっているので、ガッカリしたためにつけられた。今日は少々バテ気味。下よりC1へ村田OB入る。残りは今日もボッカ。

 

3月16日 気圧の谷が近づき朝より風雪。とにかくC2作りに、中村、村田、大谷、伊東、サポートに鹿野、益崎と6名出発。樹林帯は昨日のトレールが判別出来るが、万歳ピークを過ぎるとまったく分からず、横なぐりの風雪に襲われる。非常に湿った雪でオーバーシュー、オーバーズボン、トレンカ―まで濡れる。結局万歳ピークより1ピッチ半、ガッカリピーク手前で天幕を張ることにする。サポート隊を帰さなければならないため、もうこの辺が限界だった。雪稜のやや広いところをならして6人天、最新の天幕を張った。11:40行動終了、サポートの2名はまた下に戻って行った。天幕に入って、その日は半日濡れ物干し、雪は1日降り続いた。下では高井以下4名がC1に入った。トランシーバーの交信も地形が悪いため、今日は出来なかった。

C2~C3

3月17日 予定では今日は休養日、しかし昨日、予定通り横通の上にC2を出せなかったので、C2の4人はサポートなしで6人分の荷を背負って出発。新雪のためラッセル膝まで。デポで荷を軽減し、横通直下の300mを登る。雪がしまってきたのでアイゼンをつけ、ワッパは外した。糠川谷寄りの風強く、相当にしごかれた。横通頂上に出て初めて槍を見る。。穂高も並んで豪シャン、頂上の大天井よりにC2を設営。風は来ない、良い天気になった。午後、またデポへ逆ボッカに行き、エッセン缶4,ザイル1,フィックス1,三つ道具、石油6リットルをボッカした。この日後発の牧野内以下5名がBHに入った。トランシーバー交信出来ず。

 

3月18日 C2より4名、C3用の荷をボッカするため出発。朝のうち猛烈なブリザードのため天幕動揺、9時過ぎ天幕を出た。朝トランシーバーによる交信がなった。アイゼンをつけ、各自10kg背負った。ところどころ雪はやわらかいが六分がた締まっていた。東天井のあたりで風は弱まって、よい天気になった。3ピッチにて大天井のピーク直下にデポ、引き返す。全員、連日の行動のために疲労が激しい。C2に帰ると、C1よりのボッカ隊はもう帰途についており、C2入りの鹿野、平松がデポに逆ボッカに行っていた。今晩は総勢6人、後発もC1に入り、BHには人がいなくなった。

 

3月19日 C2より中村、鹿野、平松、伊東の4名は村田、大谷のサポートを受け、C3に入る。出発7:10、今日も地吹雪が激しい。計画では大天井と牛首のコルにC3を作るはずだったが、全員の疲労が激しいので、大天井下の昨日のデポ地点のすぐ上にC3を設営、4人天である。今日は半日沈殿、良い天気だった。下ではC1よりC2へ8名入り、C2の天幕は2つとなった。C1には3名残っているのみ。

 

3月20日 C3は休養、良い天気で日向ぼっこをしていると、C2より後発の面々が懐かしい顔を連ねてやって来た。我々の天幕のとなりに6人天が張られ、大天井に10人そろった。下でも全員がC2に入り、C1は廃墟となる。

 

C3~アタック

3月21日 第一次のアタック隊中村、鹿野、井上邦、西谷の4名と残りの6名が4人天を撤収し、C4作りに出発。C3より先はアンザイレンして歩く。牧野内と井上浩の2人は先行して道作り。赤岩岳までは順調に進んだが、西岳にかかるところより、稜線はやせ、前方でフィックス隊が活躍している。文字通りにナイフリッジで相当に悪い。フィックスを120mばかり張って通過、ちょっとコル状になったところにC4,4人天を張った。やっと張れる広さで、両端は完全に雪の上だろう。この先もナイフリッジで、岩とのミックス状態で悪そうだ。我々はC3に戻り、アタック隊はC4入り。C2の連中はC3往復、午後巻雲が出たがまた消えた。村田下山、柳沢入山。

 

3月22日 アタック隊、中村、鹿野、井上邦は5:45アンザイレンして出発、西谷は待機。水俣乗越へは急な下り、アプザイレンのようにして下り、続くナイフリッジでは天上沢、槍沢の両側にステップを作りながら進み、最低鞍部。交代でラッセル、雪庇は両側に出ている。大槍ヒュッテ11:50、岩が露出してくる。肩13:30、頂上14:00~14:30、C4と交信、C4より頂上に人影見ゆとの交信。帰途はスピードが上がるが、小ピークの上下に消耗する。西岳19:00、日は落ちリヒトをつけて19:45帰幕。C2よりアタック隊のリヒトを認め、交信してきた。C3とは入らなかった。C3よりは牧野内以下3名、C4に待機に出た。またC3に都留、小沢、笠原、益崎が入り、C3からは伊東、平松、藤原がC2に下り、久しぶりに他の1年生の顔を見た。1年生の仕事はもう終わり、その夜、西岳の真っ暗な稜線をアタック隊のリヒトが動くのを見た。アタック成功、やるべくしてやった成功。

 

下山

3月23日 アタック隊3名はC3を経てC2まで下りる。第2次アタック隊、牧野内、池戸、井上浩がC4入り。C2より高井以下6名、C3に入る。C3に残った柳沢、伊東、平松、藤原はC1の跡まで、残してきたエッセンをボッカしに行った。久しぶりに雲が多くなり、槍が隠れた。

 

3月24日 夜来風雪、全キャンプ沈殿、C2のカマ天の動揺激しく、新雪に圧迫された。

 

3月25日 朝のうち風雪、第2次アタック隊は、アタックを断念、C3よりのサポートとともに撤収、C2よりはC3へ撤収サポートに出る。中村OBは1人下山。C3からC2を経て、横通岳を下ったデポ地点付近の平らな広い尾根TUSAC平にC2を後退させた。C4とC3のサポート隊は相当時間がかかり、東天井のあたりで日が暮れ、リヒト行軍になり、大分遅くなってC2到着、既に我々の手により整地されたところに天幕を張った。行動中に小沢、木邨が調子悪くなり、暗い中で、ちょっと異様な雰囲気になった。全員がTUSAC平に集結。

 

3月26日 西谷、木邨、小沢、佐藤下山。残りの牧野内以下15名、ぞろぞろと稜線歩きに出発。天気も回復、大分のたりムード、横通から常念を通り、蝶とのコルまで行ったが、バテが激しい者が多く、そこで引き返した。常念乗越では45分間昼寝をした。のんびりしてしまって、C2に帰るのがいやになった。

 

3月27日 雪のまったくなくなった横通尾根を足どりも軽く、下る、下る。日の光も暖かい。BHに戻って、春山納めコンパ。

 

3月28日 今日は帰る。四発からまたトラック、ザックの上に腰かけて、下界はもう春だ、畑も緑、陽も暖かい。陽気なトラックが村を通る、下山の楽しさ、村の子らに声をかけながら、歌声をあとにして。