1208 夏山合宿1 (涸沢定着)

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1208 夏山合宿1 (涸沢定着)

参加者
OB 伊東毅(L)田中淳一(SL)都留義之(SL)井本(SL) 岸元士(SL)
内田博 大谷尚史 益崎健二郎 鈴木俊夫
現役 金山慎介(1年)、塚本宇信(1年)、津田啓仁(1年)、土井崇史(1年)

7月30日
  先発隊(益崎、岸)夜行バスで出発

7月31日
  本隊(都留、伊東、大谷、1年4名)出発、午後駒場集合、パッキング後新宿へ 
  藤本OBの見送りを受け23時発の夜行バスで出発

8月1日
上高地出発(7:00)~明神(7:50~8:00)~徳沢(8:50~9:05)~横尾、昼食(10:00~10:50)~本谷橋(12:20~12:40)~涸沢(14:50)就寝(17:40)

快晴。
 夜行バスは朝6時前、上高地到着。大阪からの田中と落ち合い、バスターミナルの上高地食堂で朝食を摂ってから出発。横尾までは平坦な道のりが続いたが、横尾の吊橋を渡ってしばらくすると登りになった。共同装備は約15kg、個人装備と合わせ30kgほどだが、塚本以外の1年は重荷を背負って歩く経験が薄かったこともあり、歩くのに難儀した。途中、金山は膝痛を訴えたため。応急的にテーピングを施す。8月ということもあり、涸沢の手前を除いて残雪は無かった。
 涸沢にて、先発隊として前日から入っていた益崎、岸、および単独で入った内田と落ち合い、先発隊が確保していたスペースにダンロップV6、クロノスドーム、ティンバーラインの3つの天幕を張り、内田は隣に個人用の天幕を張った。涸沢のテント場はモレーンの岩の上で、大きな石がゴツゴツしていて平坦なところが少なく、V6を張れる敷地を確保するのに苦労した。夕食直前の16時頃。シアトルから一時帰国中で新宿を今朝発った井本が到着した。上高地から4時間で上がって来たとのこと。夕食後は早々に就寝した。

8月2日
エッセン班起床(4:30)朝食(5:00)出発(6:50)~三四雪渓下右岸休憩(7:52~8:05)~三四雪渓左岸岩場下(8:27)雪上訓練開始(9:10)昼食(10:20)訓練再開(11:05~12:10)~岩登り研修(12:30~13:50)撤収(14:40)~帰幕(15:25)

晴れ
 定着初日、雪上訓練を行うため、三,四の雪渓に向かう。ピッケルストップを中心に訓練を行った。谷川の時より急斜面であったこともありやや難しかったが、だんだん慣れて止まれるようになってきた。岩登り研修では支点の作り方を習った。しかし、近くに一年が登れそうな手ごろな岩場が無かったため実際の岩登りは翌日に持ち越しとなった。また、日中の時間を有効活用するため翌日から起床時間が4時に変更された。

8月3日
エッセン班起床(4:00)出発(5:00)~三峰フェース下着(7;50)岩登り研修(8:20~12:20)昼食(12:20~13:00)~三四のコル(13:30~14:05)~帰幕(15:50)
 
晴れ。
 岩登り訓練を行うため三峰フェースへ向かう。伊東、井本、田中と1年4人で下部の手ごろな岩で研修開始。2ピッチほど登って、懸垂下降を行った。グレードは教蘢?戮箸里海箸任△辰拭C訖後は三四のコルに向かい、内田、都留、大谷、益崎と合流。暫し休息を取った。三四の雪渓は午後になって雪が大分軟らかくなっていたが、傾斜が急なので50mザイルを2本つないでフィックス、3ピッチほど下り、その下は前日と同じくアイゼンを用いて下った。起床時間は翌日より3時に早められた。

8月4日
エッセン班起床(3:00)~起床、朝食(3:20~3:40)~北穂東稜へ出発(4:16)~ゴルジュ上のガラ場(5:14~5:27)~東稜下のコル(5:55)~東稜上のコル(8:00~8:12)~北穂高岳山頂、昼食(8:50~9:15)~D沢コル南(10:10)~涸沢岳山頂(11:26)~穂高山荘(11:40~12:00)~ザイテングラード途中(13:05~13:15)~帰幕(13:33)

 晴れ。
 内田、伊東、井本、田中、金山、塚本、津田、土井の8名は北穂東稜へ。
 都留は奥穂~前穂を回って上高地下山、帰京。益崎は南稜から北穂往復。岸、大谷は休養のため沈殿。

 涸沢を出発し、東稜を通って北穂高山頂を目指す。ゴルジュ上の休憩地点ではモルゲンロートの前穂北尾根がきれいに見えた。ゴジラの背に着いた時点でハーネスを着用。ザイルワークに備える。しかし、予想に反してザイルを用いずとも殆どの部分を通過出来、結局ザイルは最終盤部のトラバースで1ピッチ、懸垂下降用に1ピッチ用いただけであった。天候に恵まれたため眺めは素晴らしく、爽快な気分を味わった。
 北穂高山頂では南陵を通って先回りしていた益崎と合流。ここで内田は益崎とともにパーティーを離脱、南稜を下った。北穂高山頂からは、合宿後半に予定している縦走ルートが一望出来た。
 昼食後は穂高山荘を目指して歩き始めたが、土曜日という事もあり他の登山者も多く梯子が備え付けられている部分ではかなりの間順番待ちをする必要があった。これは、ザイテングラードを下降する際にも同じことが言えた。穂高山荘からすぐのところに奥穂高があったのだが、これまた大量の登山客が梯子を上っている姿が山荘から見えたため明日のお楽しみということで帰幕した。
 通常より少々早い帰幕であったため、比較的長い自由時間がとれた。各々服を水洗いするなりして暫しの休暇を楽しんだ。

8月5日
 
 エッセン班起床(3:00)~起床、朝食(3:20~3:50)~出発(4:28)~五六雪渓休憩(5:15~5:35)~五、六のコル着(5:50)~五峰(6:15~6:25)~四峰、昼食(7:45~8:20)~前穂高岳(11:20~11:40)~吊尾根休憩(12:48~12:58)~奥穂高岳(13:23)~穂高岳山荘(13:55~14:08)~帰幕(14:55)~夕食準備(16:00)~夕食(16:20~17:20)~就寝

  曇りのち雨。
 定着最終日。井本、田中、塚本、津田、土井の5名は前穂北尾根へ。
暗い中リヒトをつけて五六の雪渓を登る。最初の休憩地点まではアイゼンを使い、そこからはハーネスを着用。四峰で2人組のパーティーに先行させるため、休憩が長くなった。四峰からアンザイレン、一気に3ピッチで登った。ザイルは2本使い田中が先導。津田、土井はアセンダーという器具を用いて登り、井本、塚本が最後に登りロープやカラビナなどを回収する形となった。ホールドを見つけるのが困難で、現役は井本さんや田中さんに指導をしていただいた。北尾根全体は浮石多く足場も狭く終始緊張感を要するコースであった。
 前穂高岳頂上から吊尾根を通って奥穂高岳を目指したが、途中我々の真下の一般道を通るパトロールの人たちにきつく注意を受け、やむなく一般道まで下ってから奥穂高岳山頂を目指す、という出来事があった。無事山頂に着くと辺りは霧が立ちこめ見通しが悪くなっていた。穂高山荘まで歩く途中雷鳥を発見した。穂高山荘に着く前に小雨が降り出した。穂高山荘からは4日と同じくザイテングラードより下降した。帰幕前に再び雨が降り出した。
 帰幕後は明日の縦走に備え共同装備や食料の振り分けをした。涸沢ヒュッテの小林銀一氏から3万円の差し入れがあったということで、我々は全員で、会長のいらしているところに向かいお礼の挨拶をした。その後我々は、その金額のいくらかを使ってヒュッテの売店でおいしいものを買って食べることにした。現役は皆ソフトクリームを買った。
夕方OBの鈴木が到着、ハンバーグやゼリーやキウイなどの食料の差し入れがあり、夕食は山での生活にしては豪華でありがたいものとなり、皆おいしくいただいた。

その他 内田は下山、帰京。伊東、大谷、益崎、岸、金山は休養のため沈殿。