1007~08黒部東沢谷後半

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黒部東沢谷2

7月31日 起床(5:00) 出発(7:15)~二ノ沢(8:00~8:15)~三ノ沢(9:00)~四ノ沢下(10:00)~五ノ沢上1814m・昼食(11:30~12:10)~1900m付近(13:10~13:25)~七ノ沢(15:20)~2100m赤牛側無名沢出合(16:40) 幕営

 雨はあがったが青空は見えない。二ノ沢までは右岸通し順調に進む。ここには幕営跡がいくつかあった。三ノ沢まで渡渉1回、その先四ノ沢まで渡渉2回、五ノ沢の上までさらに渡渉2回、深さ、水勢とも昨日とあまり変わらない。みんな渡渉に慣れてきたからザイルは最小限にしたが、それでもなかなか進まない。五ノ沢の上、地図の1814m付近で昼食。天気はほぼ回復したようで両側の稜線が見えるようになった。このあたりで伊東のストックが折れる。ヤブ漕ぎで草などをなぎ払ったりしたのがまずかったらしい、真ん中からポッキリ折れてしまった。やれやれ今度はストックか、ないと渡渉に困るので手ごろな流木を探して杖にした。五ノ沢から先は流れが2つ3つに分かれるようになって渡渉も楽になり、水の中も歩けるようになったが、両岸のヤブが多くなる。荷物が重いこともあり、相変わらずピッチが上がらない。標高差で1ピッチ100m登れないペースで、今日中に2300m付近まで行きたかったが、とても無理、15時20分七ノ沢、天幕を張れるところがない。幕場を探して伊東が先行する、2100m付近前方に草地の斜面を発見、行ってみると大分傾斜していて石もごろごろしているが、なんとかなるだろう。他を探している余裕はない。赤牛側から無名の沢が合流した先、本流の左岸10mくらい上がったところなので増水は問題ない。水は赤牛側の沢からとれる。全員到着して若干整地をして天幕を2張り、なんとか設営完了。飯は赤牛側の沢の河原で食べるが虫が多い。蚊取り線香や虫除けスプレー、ハッカ油などで防御するが、みんな大分食われたようだ。小さなハエのような奴で噛まれると血が出て痛い。これがブヨらしい。晩飯は牛丼、大谷がパック入りの牛丼を持ってきた。水分たっぷりで軽量化にはほど遠い、どうも大谷のエッセンはうまいものを食べさせたいと言う気持ちは分かるのだが、重量無視の傾向がある。夜から朝にかけて晴れ、気温が下がった。ここまで予定より大分遅れているので明日は烏帽子までは無理で野口五郎泊まりになるだろう。まあ野口五郎からでも1日で帰れるだろうから、なんとか先が見えてきたというところ。

8月1日 起床(4:30) 出発(6:40)~2140m(7:35~7:50)~2225m(8:40~9:00)~2310m雪渓わき(9:35~10:00)~二股2410m・昼食ほか(10:35~11:50)~最後の水場(12:15~12:30)~雪渓上端2630m(12:55~13:10)~東沢乗越上稜線縦走路(13:50~14:20)~2833m峰(15:00)~野口五郎小屋(17:10) 大谷・木邨着(17:45)

 いい天気になった。今日はなんとしても稜線に出て野口五郎まで行かなければならない。大谷の荷物を減らし、木邨が引き受ける。天幕もザイルも水を吸ってずっしりと重い、装備を受け持つと日にちがたっても重さが減っていく楽しみがない。ここまで来るとさすがに水量が減って水の中でも河原でもどこでも歩けるようになる。2ピッチで2200mを越え、正面に水晶の左に伸びる稜線が見えた。乗越まではまだまだ遠い、このペースならあと6ピッチか、野口五郎までもやっとだな。2300m付近で雪渓が現れ、左岸の雪渓わきで小休止、ルートを見定める。益崎のGPSに東沢乗越を入れてナビをセット、方向をチェックしながら登っていく。なるい雪渓を沢靴のまま渡って、急になった沢を少し登ったところが二股、ここは左に入る。標高は2400mちょっと、この上は雪渓が続くので大休止、靴を山靴に替え、昼飯、天気がよくなったので濡れもの干し、天幕、フライ、ザイル、雨具などそこらに広げて乾かす。ここで1時間余り休憩、天幕などほとんど乾いてくれた。雪渓はそれほど急でないので、スプーンカットを拾って登っていける。ピッケル、アイゼンがないが滑って落ちるような傾斜じゃない。この雪渓の中間に半分雪が切れて水が出ているところがあったので、ここで給水、各自2リットルというところだが、荷物が重いし、いざとなったら小屋で水を買えばいいということで適宜、行動用の飲み水確保ということにした。その上も雪渓が続くが徐々に傾斜がゆるくなって歩くのが楽になる。2630m付近で雪渓の上端に達した。あと標高差で100m、ここからはガラ場と草付き、歩きやすそうなところを探して登っていく。やがてお花畑がひろがり、ハクサンイチゲコバイケイソウ、イワカガミなど咲いている中を行く。最後、乗越に出るところ、這い松をよけて左に寄りすぎてしまい、稜線に出る手前で50mほど這い松こぎをやらされた。出たところは東沢乗越の東、50mほど真砂よりの縦走路。やれやれ、やっと裏銀座だ、行きかう登山者がどこから来たの、と問いかけてくる。東沢からと答えると目を丸くしていた。ここから野口五郎の小屋まで3時間弱、まだまだ歩かなければならない。でも道があるのは気が楽だ。ゆっくり歩いて2833m峰で1ピッチ、その先真砂の手前、竹村新道の分岐をすぎたところで、このままのペースでは小屋に着くのが遅くなりすぎると思ったので、伊東と益崎が先行する。だらだら道を飛ばすがちょっと登りになると荷物の重さがこたえてペースが落ちる。それでも夕方5時過ぎ野口五郎小屋に到着、5人の宿泊を申し込む。中ではすでに夕食が始まっていた。ここは以前テント場があったのだが、土砂崩れがあって使えなくなってしまったそうだ。食料もあり、装備もあるから幕営もありうるかと思ったがテント場なしでは仕方がない。それにみんな疲れているから、そんな余裕もない、自炊もやめにして2食付にしてもらった。大谷と木邨が到着したのは17時45分、ご苦労様でした。部屋は入り口わきの小部屋、4畳ほどか、我々5人だけでいっぱいだが、さらに後から来た人も入れると言う、そうなったら大変だ。実際後から3人到着したが、幸い別の部屋に入れてくれたのでほっとした。あまり大きな小屋ではないが結構お客が多い、収容50人のところ、それに近くいたのではないか。夕食は第2ラウンド、なかなかおいしかった。部屋に帰って宴会の続き、飲み物もつまみもまだいっぱいあるが、伊東は胃の調子がよくないので見ているだけ。食料が余っているので処分をかねて小屋に進呈することにした。あることあること、生のなすが3個をはじめ、大量に残っていた。余りものを受け取ってくれるかなと思ったが、大いに喜んでくれてお土産に小屋の手ぬぐいをもらった。布団は敷布団、掛け布団が各4枚、片岡、益崎が1組ずつ使い、あとの3人は敷布団2枚、掛け布団2枚。寝付いてすぐは暑くて掛け布団から全身飛び出していたが、明け方ふたたびもぐりこむ。まあなんとかなったようだ。

8月2日 起床(4:15) 朝食(5:00) 出発(6:00)~烏帽子小屋(8:45~9:10)~休憩・昼食(10:00~10:35)~高瀬ダム(13:10)=扇沢(13:50)=上原の湯=そば上原屋=解散・帰京

 今日は帰る日、朝食も2ラウンド目、まあまあ快適に過ごせた。出発する時には小屋の人がみんなで見送ってくれた。天気もよく周りの山がよく見える。高瀬の谷を挟んで表銀座、燕から大天井、餓鬼と唐沢が正面に大きい、北には立山、五色、スゴの稜線、東沢を挟んで赤牛、水晶、その向こうに薬師も見える。水晶の左には鷲羽とワリモも。三ツ岳の付近から東沢の一昨日の泊まり場が見えた。緑の草付きだからよく分かる。上から見る東沢はどうってことはない谷だが、やっぱり長い。道のわきにコマクサがたくさん咲いているが、少し時期が遅かったようで色あせた花が多かった。烏帽子小屋の前で休憩、イワギキョウの花壇があった。移植したのだろうか、ラベンダーのように紫一色、見事だがやや不自然。小屋から稜線を越えたところで携帯が通話可になったので大町の名鉄タクシーに電話、高瀬ダムに迎えを頼む。これで安心、あとは下りるだけ、ブナタテ尾根の急坂をひた下る。と言っても足に負担をかけないように歩幅を小さく、ゆっくり下りる。下から続々登山者が登ってくる、さすが裏銀座、すれ違いが大変だ。途中1回昼飯休憩、都合4ピッチ弱、4時間で高瀬ダムに着いた。予約した時間には早かったがタクシーはすでに来ていた。それもジャンボタクシー、2台になるとか言っていたので助かった。扇沢の駐車場で伊東車、片岡車ピックアップ、大町の山沿いの上原の湯、コミュニティーセンターの施設で400円、大町温泉は登山客で賑わうけど、こちらは穴場、地元の人だけですいている。風呂のあとは上原屋のそば、もりそば5人分で終了、きわどいところだった。ここで仙台へ帰る片岡と別れ、残る4人中央道をのんびり帰った。

東沢谷は大学3年の夏山縦走で下りたことがある。その時は平凡な沢で山靴のまま飛び石伝いに下りていって、これと言った悪場は記憶にない。沢の中で1泊して、ただ長いという印象だけ残っていた。中高年グループにとっては難しいところはなく、のんびり登って焚き火を楽しむにはいいところだと、数年前から計画を温めていた。でもだんだんみんな年をとって、そろそろ行かないと体力的に厳しくなるということで今年企画したのだが、結果はもうすでに限界を越えていたかに思われる。ネット記録を参照し、時間を通常の1.5倍見込んで計画を立てたのだが、実際にはほぼ2倍の時間がかかった。荷物も少し重かったかも知れない、明らかに軽量化が不徹底だった。それはあってもこの時間は想定外だった。もう長い幕営縦走は無理なのかと、真剣に考えさせられた。東沢入り口のゴルジュは右岸を行くべきだったのか、当初の予定通り左岸から行くべきだったのか、多分左岸だったのだろうと思うけど、実際に行ってないので結論は出ない。ヤブ漕ぎでGPSをなくしたのは不覚の一語、不注意だった。釣竿を持っていったが釣りを楽しむ時間も気持ちの余裕もなかった。魚はあちこちで見かけ、魚影は濃そうだったのに残念だった。この他にも反省点が多い山行だったが、曲がりなりにもなんとかかんとか予定したコースを歩き通すことが出来たのは幸運だった。余裕がなかったわけではないが、これからはみんなの力量に合わせて、こういう山登りにならないようにしたい。