2002羽鳥湖スキー鎌房山

 

 

参加者

 

木邨光宏  大谷尚史  益崎健二郎  内田正明  伊東 毅

 

 

2月18日

 福島、羽鳥湖スキー。朝6時24分の小田急特急モーニングウエイ、大宮8時10分やまびこ205号、9時11分新白河、木邨、大谷、益崎と合流、高原口で内田が待っていた。木邨と伊東が内田車に乗り、大谷、益崎は羽鳥湖ライナー。エンゼルフォレスト入口の道の駅でチェーン装着、横殴りの雪で路面積雪。グランディ羽鳥湖スキーリゾートは動いているリフトは1本、立派なロッジがあるが営業は土日だけ、広い駐車場に車パラパラ、平日とは言え人が少ない。センターハウス、レンタル受付で宅急便受け取り、更衣室で着替え、要らないものはコインロッカー300円。まず昼飯だがレストランには食べるものがない。仕方なくお子様ハンバーグ。雪、風で寒いので、リフト1回分滑って終わり、内田と先に宿に。エンゼルフォレストというリゾートにある温泉ペンション、メリーキングズ、洋室2、和室1、勝手ながら和室を一人で使わせてもらう。やがて3人もシャトルバスでペンション着。温泉はアルカリ泉でなかなかいい。まず和室で一杯、ビール、ドライマテニー、道の駅で内田が買った地酒など。夕食は福島牛の陶皿焼き、銀鱈など、美味かった。

 

2月19日

リフト上(9:15)~切り開き(9:35)~無線塔(9:45)~小休(10:00~10:10)~鎌房山(10:50~11:30)~ゲレンデ(12:30)~レストハウス(13:00)

 

 5時半に起き、7時朝食、内田車と宿の車で8時発。雪はやんだが鎌房山の頂上は雲の中、目標は大白森だが、どうだろう? リフトの上からシールつけて樹林帯に入る。積雪は少なく、ヤブがうるさいが、昨日からの新雪で、くるぶしまでのラッセル。切り開き(林道か)に出て電波塔群を過ぎ、途中1回休んで、また切り開きがなくなる。稜線近くはまたヤブ、木の枝から落ちた氷が散らばっていて、シールが滑る。2ピッチ弱で鎌房山の山頂、風が強いので、針葉樹の影で昼飯。天気も良くないし、ヤブで歩きにくいくらいなので、ここで引き返す。下りもヤブがある間はシールのまま、切り開きに出て、外して滑る。傾斜はなだらか、重い雪だが、思ったより快適だった。切り開きはゲレンデにつながっていて、あとはなんとかいうコースを滑って終わりにした。スキー、靴など、また宅急便に出して、内田車に5人詰め込んで宿へ。

ペンションの主人の強い勧めに抗しきれず、近くのブリティッシュヒルズという施設を見学に行く。広いゆるやかな山の中にイギリス風の建物が建ち並んでいる。いかにもバブルっぽいが、驚くべき規模と贅沢、よく分からない施設だ。帰って道の駅で買い物、ペンションの宿代と復興割りというセットで、買い物券3400円ほどが付いている。これといったものはないが、職場の土産などに菓子などを買った。

そのあと湯めぐり券というのを使って温泉、これもまた立派な施設、このエンゼルフォレストというのも、どういうものなのか、広大な敷地に、体育館、グラウンド、テニスコート、コテージとかいろいろある。それも比較的新しい、温泉付きという別荘も何棟か新築中だった。風呂は内湯、露天、香り湯、壺湯、サウナなど広くてきれいで人が少ない。快適で文句はないのだが、全体によく分からない。狐につままれたような気分だった。

 

2月20日

 

 6時半まで寝た。今日は帰るだけ、8時朝食、9時45分のシャトルバス、天気は回復、穏やかな暖かい日となった。内田、木邨は黒羽方面へ、3人は新白河から新幹線、なすの272、駅弁を買って車内で食べる。大宮、新宿と昼間なので空いている電車、13時過ぎ新百合着。

 

 木邨のアレンジでペンションやシャトルバスなど、快適かつ効率的なスキー行だった。ペンション経営25年という主人は、やや執拗なサービスではあったが、温泉も食事もよく、まずは満足。復興割というのは補助金?ペンション宿泊料とブリティッシュヒルズの入場料、お土産代、それに入浴料など、全部含めて2泊14,800円、随分割安だった。

計画では大白森まで行く予定だったが、雪不足でヤブが埋まらず、時間的にも難しかった。鎌房山往復でいいところだったろう。

2001 神楽和田小屋スキー

2001 神楽和田小屋スキー

参加者  木邨光宏  大谷尚史  益崎健二郎  伊東 毅

1月21日

新百合ヶ丘(9:07)=大宮(10:42)=とき315=越後湯沢=かぐらみつまたステーション~和田小屋

 

 小田急ロマンスカー、新宿から埼京線、大宮からとき315、10:42発指定席、みんなは東京駅から自由席。いい天気で暖かそうに見えたが、水上から雪、風もある。越後湯沢で大谷、木邨、益崎と合流、タクシーでみつまたステーションへ。宅急便を受け取って着替え、ケースを事務所に預ける。休憩所にあった売店でミートパイを買って昼食。ロープウエーでみつまたエリア、湿雪が降っている。リフト一段乗ってゴンドラ乗り場へ下りるのだが、大谷の荷物が重いので、上に置いて大谷は空身で下り、もう一度リフトで登り返して、伊東が背負いなおして下る。ゴンドラでかぐら、和田小屋到着、今日はこれまで。

ここは暖かい、ビールで乾杯、大谷がつまみをいろいろ作る。久しぶりに来たが、結構客がいる。オーストラリアからの一家4人も。平地のスキー場に雪がないので、こちらに集中しているようだ。4時前風呂、先客が1人いたが、すぐ出たので一人でゆっくり。夕食は6時から、量が多く、食べきれない。7時に部屋に引き上げ、布団を敷いて20時過ぎ就寝。暖房が効きすぎて暑いので、窓を開けた。

 

1月22日

和田小屋(8:25)~第4リフトトップ(8:50)~第5リフト上(10:50)~稜線(11:50~12:30)~第5リフト上(12:55~13:10)~第5リフト下(13:50)~和田小屋(14:30)

 

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 いい天気になった。神楽峰の稜線を目指す。第4リフトの上から第5リフトに向かうコースの入口が開いてない。第5の運転開始は9時半だが、まだ9時前、もうスキーヤーやボーダーが並んで待っている。昨日新雪が積もったので、ファーストトラックを目指す人たちということらしい。我々は特にその積りはないので、1回ゲレンデを滑って、もう一度第4リフトで登り返す。第5の乗り場は長蛇の列、下からも上からも、次々にやってくる。20分くらい待たされて、ようやく乗れた。第5の上にはパトロールのゲートがあり、計画書とビーコンのチェック。ところが機械が故障してビーコンの発信を検知しない。妙に居丈高なパトロールで感じが悪い。ボーダーの遭難騒ぎでゲレンデ外へ出る、いわゆるバックカントリーに厳しくなったということ。

 これまでは第4から歩いていたが、ここからなら稜線は近い。いい天気で谷川から至仏、燧、平ヶ岳、越後三山まで、よく見える。稜線に出ると鳥甲が正面、妙高、後立、苗場。スマホの山座同定アプリを使っていたら、突然電源ダウン、画面がブラックに。GPSでバッテリーを消耗してしまったらしい。このアプリは山では使えない。2000mコンターのピークで昼飯を食べて、登ってきたルートを戻る。傾斜が緩いので大谷にも大丈夫かと思ったのだが、息が切れてしんどそう。とくに第5の上からが大変だった。荒れた斜面やヤブ混じりに苦戦。第5リフト下まで下りたところで、パトロールに届けた時間が迫ってきたので、伊東は1人、先に下りる。和田小屋に入って携帯にバッテリーをつないで、みつまたの事務所に連絡した。午後2時過ぎだった。30分後3人が到着、今日はこれまで。あとは休養、風呂入って、ストーブの周りでまた一杯。今日は少し、客が減った。

 

1月23日

 

 天気は下り坂、朝出たら湿っぽい、小さな雨が降ってきた。第4リフトから少し上まで行こうかと思ったが、雪も悪いのでやめにして、ゲレンデを木邨のレッスンを受けながら下りる。下に下りたら、結構な降りになっていたので、そのまま和田小屋に入って、今日はおしまい。部屋で昼飯を食べてごろごろ、結局沈殿。風呂入って、今日もストーブ周りでドリンク、生ビール一杯、大谷がフライパンでスペアリブやいろいろ焼いてくれる。夕食はステーキ、粒コショウが付いているので、箸で取り除いて食べた。全体に香辛料が多い。20時就寝、暑いのと枕が合わず首が痛いので、よく眠れない。

 

1月24日

 

 朝は濃霧、危ないのでゲレンデは中止、みつまたゴンドラコースを下る。思ったほど雪は悪くない、木邨のレッスンを受けながら、みつまたエリア、リフト1本乗って滑って、ロープウエー駅へ。ガスはすっかり晴れた。3人はもう一回リフトに乗って練習、その間、茶店で休憩。ロープウエーを下りて、みつまたステーションでスキーや靴を宅急便で送る。タクシーで越後湯沢、江神温泉、中野屋、店が新しくなっていた。生ビール、なめこおろし、揚げ出し豆腐、てんぷら、へぎ蕎麦。15:39のたにがわ、臨時だが結構混んでいた。

2001鉄驪荘新年会 獅子吼城跡探訪

2001鉄驪荘新年会 獅子吼城跡探訪

 

恒例の鉄驪荘、浜野さんを偲ぶ新年会と軽登山、獅子吼城跡。

 

参加者

 浜野由美   田村正子   (浜野)あき

山中秀彦  木邨光宏  大谷尚史  藤原国生  益崎健二郎  

内田正明  片岡ひとみ  伊東 毅

 

 

1月11日

 10時新百合ヶ丘駅で山中ピックアップ、10時20分矢野口駅で益崎ピックアップ、談合坂で休憩、いい天気で暖かい。甲府盆地に入ると白銀の白峰三山や南アがきれいに見えた。須玉から蕎麦「いち」へ、揚げ野菜おろしそば、1600円、とろろそばは1800円、いつになく空いていた。鉄驪荘に13時半、浜野夫人と田村さんという友人?の2人がいた。昨日来て、アキちゃんは用事で帰ったそうだ。マージャン、半荘2回、15時半ごろ大谷、フジクニが来たので、きららに買い物、16時には戻ったがアンコウが来ないので鍋は始まらない。内田、木邨は勝沼近くの棚横手山というのに登って、電車で17時すぎに来るところ、甲府駅で乗り換えのミスで18時過ぎ到着。入れかわりに片岡を迎えに長坂駅に、暗くなると田舎道は電灯がないので、帰り道を間違えた。

全員揃って、ようやく始まる。内田が水戸から背負ってきたアンコウ、イワタニコンロ2台、鍋2つ、野菜たっぷり、みそ仕立て。ビール、日本酒、シャンパン、焼酎。山中さんがカラオケをセット、フジクニ、大谷は英語、独語の歌、カラオケマイクに結構入っている。木邨はお疲れ、始まる前にダウン、早々に就寝。残りのお爺さん6人も10時頃、2階に引き上げた。

 

1月27日

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鉄驪荘(8:50)=日野春駅(9:05)=根古屋神社(9:40)~登城口(9:50)~本丸跡(10:15~10:30)~根古屋神社(11:00)=須玉IC=府中本町解散

 

 6時半に起きる。高曇りだが、甲斐駒がモルゲンロートに染まる。朝飯は鍋の残りでおじや。朝食中にアキちゃんが迎えに来た。8時50分に出て、日野春駅に山中を送り、塩川沿い、増冨鉱泉に行く途中の根古屋神社の駐車場へ。巨大な古いケヤキの大木が2本ある、古寂びた神社。大谷と内田はここから先に帰る。残り5人が獅子吼城跡探訪。東側の登り口から急な尾根、踏み跡があるが落ち葉が積もって滑りやすい。高度差は100mほど、登っていくと石垣や曲輪跡らしきものが現れる。頂上、本丸跡は平らで結構広いが、そんなに大人数が籠るような城ではないようだ。狼煙を上げる装置や、見たことのない弓矢、刀を持った神様?石像がある。どちらも新しそうなもの。信州峠、横尾山方面がよく見える。下りは反対側、右手すぐ下に道路と民家が見えるが、そちらは私有地で通行禁止。北の尾根、こちらの方が石垣や堀跡が多い。登り下りで1時間ほど、根古屋神社の脇に下りてきた。

 車に戻り、車道で城山を一周、猿がいっぱいいた。まだ時間が早いのでそのまま帰ることに。中央道ガラガラ、談合坂で昼食、ほうとう、野菜、きのこが多く、満腹。府中本町で解散、帰宅は2時半。

獅子吼城跡は木邨推薦、戦国時代末期、武田が滅んだあと北条と徳川が争ったところだそうだ。この辺は小さな山城が点在して、好きな人は多いらしい。1週間前までは雨の予報でどうか、と思ったが、日差しもあり、穏やかな天気でよかった。

1912 忘年ハイク高尾山

1912 忘年ハイク高尾山


参加者

木邨光宏  大谷尚史  藤原国生  益崎健二郎  伊東 毅

 

12月5日

 高尾駅北口(9:30)タクシー 日影発(10:00)~城山北東尾根520m(10:45~11:05)~小休(11:40~11:50)~城山(12:10~12:55)~高尾山(14:10)~高尾山温泉(15:40)

 

 大谷のドクターストップ解除を期して忘年山行、城山北東尾根から高尾山。台風被害で日影林道などあちこち通行止め、木邨が事前に取り付き偵察してOKを確認してくれた。新百合から町田経由、横浜線、八王子から高尾、北口で木邨、大谷、益崎、藤原と合流したが、小仏行きのバスの時間を間違えて、すでに出たあと。タクシーに5人、前列(助手席)に2人乗れる中型が1台だけあった。日影沢入口まで行って、通行止めの日影沢林道を少し入ったところで、沢を渡って尾根に取り付く。標高は230mくらい、山と高原地図などには道が描いてないが、地理院地図にはある。踏み跡というより道、最初は急登、枯葉を踏んで登る。500mほどで傾斜が落ち、日だまりで休憩。一般道ではないが、人はぼつぼつ、まあ高尾山としては静かなところだ。

  城山まで2ピッチ、頂上には茶店、ベンチ、テーブル等あり、人もおおぜい。南側に日当たりのいい枯れた草原があったので、そこで昼食。富士山が正面、三つ峠滝子山の間に雪の山?南アが見えるかみえないか? 風も当たらず暖かい。大谷が湯を沸かして、玉ねぎスープとおにぎり弁当など。城山から高尾山まで尾根道だが、木道、木の階段で歩きにくい。人が多い山だから整備するのはやむを得ない。ところどころ紅葉、逆光のもみじがきれいだが、ちょっとピークを過ぎ、順光で見ると枯れかけている。途中の見晴らし台からは、新宿副都心から横浜ランドマーク、手前の街、相模原か町田? 丹沢、大山などがよく見える。

 高尾山山頂はわんさかの人だが、日本語が聞こえてこない。下りは薬王院から1号路、舗装された車道なので足に応える。高尾山口に下りて新しい日帰り温泉に。温度の違う露天など風呂がいろいろある。あがって中の食堂で打ち上げ、生ビール一杯、あとは焼酎の薄いお湯割り、つまみはいろいろ、仕上げは鴨汁そば。帰りは京王線高幡不動、モノレールで多摩センター経由、乗り換え2回、早くて安い、いいルートだ。

 好天に恵まれていい一日だった。木邨がよく調べてくれるというか、よく行っているので、安心してついて行くだけ。人は多いが、手軽に行ける、いいところだ。

1911東丹沢谷太郎川 ねぎキャンプ

ねぎキャンプ

 

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今年は10月に台風や大雨が多く、北関東など被害が大きかったのと、時期が遅くなってしまったことから、昔(2002年6月)行ったことがある谷太郎川に。念のため事前に偵察、林道もサイトも変わっていないことを確認した。

 

参加者

木邨光宏  大谷尚史  藤原国生  益崎健二郎  内田正明  伊東 毅

 

11月15日

 11時半田園都市線宮前平駅 フジクニ、益崎合流、川崎ICから東名、海老名SAで大谷、内田と合流。大谷車は10時に東京駅前を出たので1時間前に着いて待っていた。SAのそば屋で昼食。厚木ICで下りて愛甲石田のスーパーよろずやに、電車で来た木邨が待っていた。よろずやは小さなスーパーだが、必要なものはそろっている。野菜、肉などすき焼き材料やアルコールなど調達、予定通り清川村煤ヶ谷から谷太郎川へ。鳥屋待沢出合の駐車スペースに2台置いて、サイトまで約300m、手分けして、装備、食料をボッカ。重い荷物もあって心配したが、頑張って1回で運び上げた。堰堤上の河原は変わってないと思ったら、川の流れが変わっていた。河原の右岸寄りに流れていたのが、台風19号で左岸寄りに変わって、水の量も少なくなっていた。でもキャンプには何の問題もない。河原を少し整地して、テント3張り設営。河原の真ん中で立木がないので、タープやブルーシートは張れない。幸い天気はいいのでフライも張らなかった。薪は豊富だが、少し湿っていて、火付けに2回かかった。燃え出せばどんどん乾くので、あとは快調。今回も折り畳み椅子とテーブルを持って行ったので、快適なキャンプ。ビールで乾杯、つまみは片岡差し入れの笹かま、大谷のカナッペ、木邨の切り干し大根昆布和え、イワシ丸干し、おでんなど、すき焼きも完食、豆腐が余ったので湯豆腐にした。みんなは日本酒、ワイン、焼酎、伊東はビール2缶。TUSAC LIEDを歌って、話がはずむ。山影から丸い月が出た。まんまるではなく十七夜くらい、でも明るい。放射冷却で冷え込んで、テントにびっしり夜露が下りる。

 

11月16日 鐘ヶ岳ハイキング

 

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起床(6:00)撤収 大谷帰宅 広沢寺駐車場発(9:45)~浅間神社参道入口(10:10)~休憩2回~浅間神社(12:10)~鐘ヶ岳頂上(12:15~12:40)~山神隧道上分岐(13:10)~山神隧道入口(13:25)~広沢寺駐車場(13:55) 玉翠楼露天風呂 解散

 

 朝6時まで、よく眠れた。焚火で餅を焼いてラーメン、ちょうどよい分量。撤収して広沢寺入口にあるセブンイレブン、昼飯用のおにぎりを買う。広沢寺前の無料駐車場、里山何とかの会で人が集まって鍋かなにかやっていた。大谷は手術後で医者のOKが出ていないので、ここから単独帰宅。残り5人で鐘ヶ岳へ、ここも2001年12月の忘年山行で中澤含む6人で登ったところ。少し戻って浅間神社の参道、鳥居をくぐって入る。鹿柵のゲートを通って、スギの人工林、暗くて冴えない道。ここにも丁目石がある。全部で30丁かと思ったが、ガイドによると28丁で浅間神社らしい。大山と同じぼたん岩がある。地層としては古いらしいが、よく分からない。途中2回目の休みは大きな岩の上、南側が開けて新宿副都心から横浜ランドタワー、相模湾が見渡せる。この辺には広葉樹があり、紅葉も見られた。最後急な石段を登って浅間神社、先客がいたので、頂上まで行って昼飯にする。ここは眺望なし、不動明王だろうか2体の石仏がある。下りは山神隧道を回るコース、少しやせたところもある尾根、途中きれいに紅葉した木があった。内田によると、ムクノキらしい。山神隧道の上の分岐、右はらくらくコース、左は近道だが急坂だという。急坂の方に下りる、なるほど、岩っぽい鎖場の連続だったが、無事トンネル入り口の林道に出た。林道にはアンテナを持った人たちがいて、発信器をつけたサルを追っていると言っていた。広沢寺の駐車場に戻り、近くの広沢寺温泉、玉翠楼へ。露天風呂の日帰り温泉、1000円、アルカリ泉で気持ちがいい。木邨、内田はここからバスで厚木経由帰路へ。あと3人は来た道を通って、宮前平駅解散。東名事故で渋滞、遅くなった。今年のねぎキャンプも無事終了、谷太郎川は近くて静かでいい。来年はアプローチのないところ、もう少し早く暖かい時にやりたい。

1911 大山ハイク

大山トレーニングハイク

 

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参加者

  伊東 毅

 

11月1日

 新百合ヶ丘発(8:43)急行=伊勢原(9:40)バス=大山ケーブル(10:30)=阿夫利神社発(10:40)

~蓑毛分岐(11:20~11:30)~大山山頂(12:10~12:45)~大山ケーブル上駅(14:00~14:20)=バス

 

 

 しばらくあいたのでトレーニング、天気がいいので一人で行く。8時43分の急行、乗る前に弁当を買い忘れ、伊勢原駅北口の小さな売店助六寿司を買って、バスで大山ケーブルへ。バスターミナルから土産物や豆腐屋などが並ぶ石段を登り、ケーブルで阿夫利神社下社へ。お詣りして登り、いきなり急な石段、その上も急坂が続く。頂上までの間、30丁という丁目石が立っているので、いい目標になる。1ピッチで16丁目蓑毛分岐、天気がいいので人が多い、高校生グループや中高年、家族連れなど。ひと休みして、また1ピッチ、頂上に到着。奥宮に参拝して昼飯、天気がいいので日向は暑い、一段下がった木陰で弁当を食べる。日陰でも風がないので寒くない。トイレに行き、パラボラの先に行くと、丹沢方面が開け、富士がよく見える。最初からこっちへ来ればよかった。この道は頂上の下をひと回りして登山道に出るのだが、それは知らずにザックを置いてきてしまったので、またもとに戻る。下りは見晴らし台から二重滝を回るルートもあるが、この間の台風で荒れているかも知れないので、同じ道にした。下りは1ピッチと少し、登りも下りも暑く、しっかり汗をかいた。急で石が多く、段差がある道なので足に来るが、なんとかもってくれた。往復正味は2時間半、ちょうどいいトレーニングになった。

1910 仙元山ハイキング

中澤の3回忌墓参りと運慶仏、仙元山ハイキング

 

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参加者

高井延幸 池戸誠二郎 木邨光宏 益崎健二郎 藤原国生 伊東 毅  

 

10月19日

 中澤の3回忌、天気が不安定で朝まで雨、木邨の連絡待ちだったが、7時半過ぎ予定通りとの連絡。ところが、益崎が間に合わないと言うので、1時間遅らせる。8時過ぎに出る予定だったが、少し遅くして、ゆっくり行く。逗子駅には9時40分ごろ着いたが、フジクニがいて、ドトールでコーヒーを飲んでいた。こちらはコーヒーは飲まないので、駅前をひと巡りしてくる。亀岡八幡宮というのがあって、鎌倉の鶴岡八幡宮とどういう関係なのか。お賽銭を上げてお詣りしてきた。

 バス停に戻り、高井、池戸、木邨、益崎と合流、長井行きのバス。横須賀市民病院前で下りて、送迎バスで南葉山霊園へ。ここは管理が行き届いていて、いつもきれいで気持ちがいい。穂高岳沢の描かれた墓碑に花とワンカップとみかんを供え、線香をあげる。TUSAC LIEDも歌う。天気が良くなって海も見え、いい墓参りになった。

 その後、バスで運慶仏の開帳されている浄福寺へ、バスを下りたところの小公園で昼食、木邨がよく調べてくれている。運慶仏は阿弥陀さまと勢至、観音に不動明王毘沙門天の5体、思ったより大きくて立派だった。惜しむらくはコンクリートの収蔵庫なので雰囲気がいまいちかな。

 続いてバスで移動、仙元山ハイキング、雲が厚くなってきたが、なんとか降られずに済んだ。仙元山からは葉山、逗子、鎌倉、江ノ島の海が見え、ヨットがたくさん浮かんでいた。さらに戸根山まで行き、実教寺へ下りた。

 またバスに乗って逗子駅横須賀線で鎌倉、駅西側の津久井へ。中澤と何度か、久しぶりに来た。鉄板焼き、まず、鴨、これが美味い。肉厚のポーク、ホタテ、野菜もたっぷり、お好み焼き、焼きそば、みんなおいしい、生ビールを一杯飲んで満足した。予定通り、諸事遂行、木邨幹事のおかげ、いい一日になった。