奥秩父

f:id:shinnyuri2179:20190316155823j:plain

f:id:shinnyuri2179:20190407181516j:plain

冬季奥秩父概念図

 

雪の奥秩父

 

1960年12月

 

参加者      島田富夫    伊東 毅

 

12月26日

新宿発(6:20)=韮崎(10:30~10:50)=増冨(12:25)~木賊分岐(13:15~13:25)~金山(13:50~14:50)~富士見平小屋(16:05) 就寝(19:00)

 

 5:40家を出る、やけに重いザックだ。新宿駅にはまだ島田は来ていない。列車の中にザックを置いてホームで待っていると、15分ほどで島田が来た。真新しいピッケルを持って、うらやましい。列車の窓から南アがよく見える。昨日の雨で空気が澄んでいるからだろう。赤外線写真のように山肌がくっきり見える。乾徳とその北の山が白く見えた。これは雪が深いかなと心配したりする。

 韮崎からラジウム行きのバス、他に登山者はなし、さすがに12月だ。バスの窓から時々瑞牆、金峰が顔を見せる。八ッは上の方が雲に隠れている。雪の八ッを見るのは初めて。増冨からの道は下が凍って、時々滑っていやな感じ。道は大体覚えている。休むとさすがに寒い、ア・ルンペン帽では耳が冷たくて困るので、島田の帽子を借りてかぶった。

 金山では有井館に上がって昼飯、お爺さんがいたけど、耳が遠いらしく困っていたところ、おばあさんが出てきて案内してくれた。こたつにあたっておにぎり、缶詰を開ける。お茶とお菓子を出してくれた。金山から金山峠、この前苦しんだのが不思議なくらい順調。金山で聞いたところでは、金峰へはワカン不要とのことであったが、瑞牆山荘泊りでは、翌日不安なので富士見平まで行くことにする。瑞牆山荘への下りはクラストしていて、おっかなびっくり下る。瑞牆山はあまり感じがよくない、ああいう山は好きじゃない。

 富士見平の分岐点のちょっと下、営林小屋が2棟建っている、無人だ。この夏、島田が泊まった時は番人がいて、金を取って泊めたというから、我々が泊まっても差し支えないだろう。小屋に入ってみると先客ありと見えて、ザックが3つ置いてあった。瑞牆へでも行っているのだろうか。水場は2か所、すぐ薪拾い、雪に埋もれているのを引っ張り出してくる。木が湿っているうえに、気温が低いのでなかなか燃えつかない。時間をかけていられないので、石油をかけて燃やした。飯盒に米、焚火にかける。島田はラジウスでポタージュを作る。  

 先のザックの持ち主は立川高校の連中、なにやらやかましく、うるさい奴らだ。焚火の傍で夕飯、終わって明日朝の用意、我々は管理人用の小部屋で寝ることにする。寝る前にアイゼンを着けてみる。明日はアイゼンが要りそうなので、手間取らないように練習である。立高の連中はいつまでも話をしているが、我々は早々にシュラフにもぐりこむ。足の方が冷たい、どうも快適とは言えないが、我慢して寝てしまう。

12月27日

起床(3:40) 出発(7:00)~大日小屋(7:50~8:05)~小休止3回~金峰山(11:40~12:40)~朝日岳(14:00~14:15)~朝日峠(14:45~15:10)~大弛小屋(16:00)

 

 寒くてよく眠れず4時起床予定だったが、我慢できず、3時半シュラフから出る。島田を起こしたのが10分後、彼はよく眠れたそうだから、シュラフがよくないのか、と言って借りものだから文句は言えない。すぐ火をつけ飯の支度にとりかかる。立高の3人は昇仙峡に下るそうだ。

 飯を終えるとすぐパッキング、昨日より少々大きくなった。キジ打って出たのが7時、おそろしく時間がかかった。暗かったのでもたついたのか、それにしてもひどい。朝、雪の具合を見てスパッツ、アイゼンを着ける。足が締まっていい感じだ。富士見平からの登りで、後ろを振り返ると南アがモルゲンロートに輝いている。しばらく見ていたが、後で見ようと登り続ける。しかし後では林に入ってしまって、稜線に出たときは、すでに日は高くあがってしまい、見るチャンスを逃した。

 アイゼンはよく効いているが、雪が薄いので爪を痛めそうな気がする。外す時間が惜しいのでそのまま行く。大日小屋には意外にも人が入っていた。ここから少し雪が深くなる。縦八丁、大日岩のあたり、少々バテル、不調だ。島田も先ほどから不調、だんだん雪が深くなり、森林限界間近でまた休み。武蔵高校の山岳部と抜きつ抜かれつ、彼らは昨日大日泊り、今日は大弛までだそうだ。

 稜線に出ると身も引き締まるが、風もそう強くなく、クラストもしていないので気は楽だ。日もさしてくる。南アは仙丈、駒あたりに雲がかかっている。道はよく踏まれているので、その通り行く。五丈岩はまだ遠い、岩の根をまいたり、時折ハイマツの上を歩いたりするが、大体夏道と変わりない。千代の吹上あたりから不調が目に見えてきて、いやにバテる。30分も歩かないうちに立てなきゃならない、5分も歩くと足が重くなる。(慣れないアイゼンを履いたからだろう)それでもとにかく頂上に着いた。さすがに風が強い。

 五丈岩の根元に店を開いたが、先に不動なんとかという高校の山岳部パーティーが来ていた。やかんとバーナーを出してコーヒーを沸かす用意をする。やかんにいっぱい水を入れたが沸きそうにないので半分にへらしたが、それでもなかなか沸かない。気温が低く、風が強いので温まるより冷える方が早いのか。動かないでいると足先が冷えて痛くなってくる。手袋を外したりすると、またひどく冷たい。目出帽のおかげで耳は痛くないが息の水蒸気が凍って口の周りが冷たい。時々日がさしてくると暖かさをそのまま感じる。ゴーグルをしたり、外したり、目を傷めたくないが、見にくいので困る。島田のフランスパンは平塚が推奨したというだけあって、さすがにうまい。それにも増してコーヒーのうまさ、あったかいものに限る。

 五丈岩に登りたいと思っていたが、風も強いし、登る気がなくなった。岩には氷がついている。写真を撮って出ることにした。賽の河原あたりに雪煙が上がって感じがいい。三角点のある地点を過ぎると、急に雪が深くなる。というよりラッセル跡が少なくなったので雪に潜るようになった。賽の河原あたりでは、ちょっと踏み誤ると、ズボッと腰まで入ってしまい、だいぶピッチが落ちる。不動なんとかのパーティーが前にいたが、朝日岳の手前で追い抜いたら、とたんに深いラッセルを強いられる。一応2~3人の踏み跡があるから道は大丈夫だが歩きにくい。朝日岳でまた不動パーティーをやり過ごしたのだが、どうしてもこちらのペースに合わず、またすぐ追い抜く。朝日峠で待ったが、なかなか来ないのであきらめて先に行くことにした。このあたりでスリップして左ひざを岩にぶつけて負傷、歩くのに差し支えないのでよかった。雪は平均7~80cm、深いところで1m。座る場所がないのでザックに座るが、雪の上に腰を下ろしたりするので尻が冷える。島田はセーターを尻皮のようにぶらさげていたが快適らしい。尻皮が欲しいと思った。

 4時かっきりに大弛小屋に着いた。人が入っている、嬉しかったね。ザックを放り出してストーブにあたる。金はとられても、やはり番人がいた方がいい。先に杉並高のパーティー3人が入っていた。彼らは石楠花新道を上がって、今日は幕営だそうだ。我々の後ろにいた、2つの高校山岳部パーティー幕営、今晩は同泊者はなし。小屋番のおじさんと、手伝いか荷上げか、もう1人若い人がいた。今日、杣口から軌道を上がってきたそうで、明日の我々のルートにラッセルをつけてくれたことになる。親爺さんも言っていたが、我々は大分ついていたようだ、金峰~国師も今日初めてラッセルされたそうだ。

 ストーブで暖まってから夕飯の支度、飯は明日朝の分も一緒に炊く。水場の水は夏ほど多くない、親爺さんはビニール管が凍ってしまったので直すまでだめだと言っていた。カレーは水が多すぎて失敗したが、全部飲んでしまった。食後談笑したり、コーヒーを飲んだりしていると、杉並高の連中が「寒い寒い」とストーブにあたりに来る。彼らのテントは夏用みたいだったから、そりゃあ寒いだろう。親爺さんが毛布を貸してくれたので、シュラフの中に毛布にくるまって寝る。おかげでよく眠れた。小屋の出来も違うし、ストーブをたいているので寒さは感じなかった。

 

12月28日

起床(4:30)出発(6:30)~北奥千丈(7:10~7:15)~国師ヶ岳(7:25~7:35)~大弛小屋  (7:50~

8:30)~大弛入口(8:50)~軌道発見(9:10~9:20)~飯場小屋(9:50~10:10)~桜沢小屋(11:00~11:10)~小屋(11:30~12:40)~六本楢(13:20~13:40)~第3発電所(14:55~15:05)~神社(15:55~16:10)~杣口バス停(16:22~16:55)~窪平(17:11~17:54)~徳和(18:27)~山登旅館(18:35) 就寝(22:00)

 

 親爺さんに起こされて目が覚めた。4時半、30分寝過ごした。少し急いで支度、飯は昨晩のをふかしたが、あまりうまくない。みそ汁とソーセージでつめこむ。

 パッキングしてから国師往復に出発、ヤッケを着て空身、もう大分明るくなっている。雪の急坂を大変なピッチで登り、前国師に経て分岐点。まず北奥千丈に行くラッセルは細く、時々雪の中に片足を突っ込んだり、時には両足没したり、風が強くなったと思ったらもう頂上だった。クラストしていて歩くのは楽、風が冷たいので岩陰に身を隠す。写真を撮って下り、国師の登りも大したことなく頂上へ。ここもクラストしている。風が強いので長くはいられない、南アも八ッも雲に隠れている。大弛の下りは走るように下る。雪があるので足を痛めないし、滑ってもバランスをとっていればスキーのように滑り降りられる。15分で大弛に着いた。往復所要時間1時間20分親爺さんも早いなあと言っていた。

 ストーブにあたり、ヤッケをしまいこんで出発。小屋の裏からラッセル跡に従って樹林の中へ、雪は深く、木の根元を行くので滑りやすく、島田は再三滑って転んでいた。転んでも雪で痛くないからいい。雪が木の枝から落ちてきて襟元に入るのが閉口、冷たいのなんの、昨日も1日中悩まされた。急な樹林帯を下りて河原のようなところに出たと思ったら大弛入口の道標があり、ケルンもあった。

 ラッセルを忠実に追う、登りと下りなので歩幅が合わない。ラッセルの主はオーバーシューズを履いている。いやな感じの丸木橋を渡ったりして行くと曲がったり、切れたりしたレールを発見、そこを少し行くと軌道の形になっているところに出たので、そこで1本立てる。まだ雪は大分深い、踏み跡を外すとググっと雪の中に入ってしまう。軌道に沿ってしばらく行くと、踏み跡は軌道から離れて川を渡っている。それについて行くと右手に伐採用か飯場のような小屋が建っていた。足跡はこの中に入っているので、我々も中に入ってしばらく休み、川へ水を汲みに行く。コップがなくなっちゃったので、ゴーグルのケースで水を飲む。小屋に戻ってザックを担ぎ、またラッセル、この辺からところどころ、風のためクラストして歩きやすくなる。

 だんだん川から離れてくる、軌道の高さは変わらないが川床が低くなっていくからで、同時に軌道は山肌に沿ってくねくねと曲がるようになる。振り返れば鉄山、朝日岳あたりが白く雪を浴びている、金峰は雲の中。長い軌道をてくてく歩いているうちに雪がだんだん少なくなって、陽だまりでは雪が融けて地面がでているところもある。この軌道は山奥にしては、ずいぶん立派なものだ。そのうち、軌道が、山襞に入り込んだと思ったら、いくつかの小屋の群れがあった。

 桜沢小屋というものらしい。人はいない、小屋の軒を借りて休む。この辺から足跡が2人分になった。金峰も時折、顔を見せる。そしてまた軌道が山襞に食い込んだところに小屋があったので、ここで昼飯にする。筵の戸を開けて中に入ると炊事場らしい、さっそくお湯を沸かす用意、水場はすぐそこにあった。コーヒーを2杯ずつ、チーズを1つ紛失したので2人で1つ、ソーセージは凍って歯にしみる。

 この後もまだまだ続く軌道、さすがに飽きるが、ともかく歩く。だんだん周囲がゆるやかになって、高原状になり、どうやら乗越が近い。軌道を離れて原っぱを横切り、また軌道に戻って乗越に到着。ここで地元の人がトロッコを押してきて、ザックを乗せて行ってくれるというので好意に甘えることにしたが、レールに氷がついて、それを落としながらなので、なかなか進まない。そのうちにトロッコがストップしてしまって、なかなか動き出さないと思ったら、遅くなってしまうから先に行ってください、ということになってしまった。残念だがしかたがない、乗越を過ぎたところから急坂になり、琴風峡とかいう峡谷に沿って下る。柳平の高原には小さな分校があった。

 焼山峠の分岐を過ぎ、なおも下ると第三発電所、ここでトロッコを待ってみたが、来ないのでまた出る。先ほどまで小雪が舞っていたがやんだ。雪がなくなった軌道は歩きにくい、枕木が歩幅に合わず、足裏を痛めるので線路の外側を歩いたりするが、ようやくばててきた足には、どっちも快適ではない。川の右岸に渡り、なおも行くと行く手に人家が見えてきて、左下に第一発電所が見えた。その先の神社の前で休み、暑いのでスパッツをとる。その先、人家の中を通って軌道が終わると杣口のバス停留所、いや長い軌道だった。

 バスの切符を買って、氷砂糖を食べながら30分ほど待つとバスが上がってきた。定刻発車、窪平諏訪車庫前で乗り換え、時間があるのでそば屋に行き、ラーメン45円、新聞に徳和のおばあちゃんの記事が載っていた。

 バスは徳和行き、外はもう真っ暗、山登旅館に入るとおばあちゃんが出てきてくれた。上がって炬燵にはいり、お茶やケーキをいただく。飯は1時間ほどで出来た。おばあちゃんはわれわれのことを思い出してくれた。十人一泊会、島田は4泊目、俺も2泊目になる。風呂に入って、2階の部屋、布団に入って寝る。

 

12月29日

起床(7:30) 出発(9:15))~銀晶水(9:50~10:00)~錦晶水(10:30~10:45)~乾徳山(12:00

~13:00)~山登旅館(14:35~15:45)=塩山(16:35∼17:19)=新宿(20:10)

 

f:id:shinnyuri2179:20190422184252j:plain

乾徳山

 起床予定より1時間ほど早く目が覚めたが、島田がまだ眠っているので、布団の中で待って。定刻に島田を起こす。下に下りて朝食、顔を洗うのが面倒で省略。キジ打って出発用意、足は痛いが乾徳ぐらいとたかをくくっている。宿からナップザックを借りて必要なものを詰め込む。ピッケルは写真を撮るときのために持っていく。まったくの軽装、走れば1時間で戻れる山だから気楽なものだ。

 部落を抜けソバ沢、乾徳入り口と、大変なピッチで飛ばしたが、飛ばしすぎで少々バテ気味、二人とも調子は悪い。銀晶水の手前で小休止、雪はほとんどない。泥が靴の裏についていやな感じだ。去年は白峰が見えたが、天気はあまりよくない。昨年はここらでもう真っ白だったのだが、がっかり。扇平にもほとんど雪がなく、乾徳の岩峰が近くなるが雪は期待できない。扇平の広い斜面を登り切り岩場に入る。休まずどんどん登り、凍っていやなところもあったが、軽く頂上に立つ。頂上の北面には、初めて雪らしいものがあった。昼食、コーヒー、握り飯、食べ終わって写真を撮る。金峰、国師が見える、雁坂、雁峠、飛竜、それに甲武信、木賊、破風も山の名前が一致させられた。

 帰りは道満をまた下りるのは面白くなかろうと、途中からコヤ沢というのを下りてみる。最初やぶで悩まされたが、かきわけ、踏み越えどんどん下る。冬だからいいようなもの、夏はたまらないだろう。沢筋に沿って下って行くと踏み跡がかすかについている。それに従っていくとはっきりした道になった。ハンターや地元の作業の人たちに会いながら、朝来た道に出て山登旅館についた。炬燵に当たってゆっくりしてたら、バスの時間ぎりぎりになった。塩山からは甲府発の電車、ゆうゆう座れた。

 今度の山行は大分気が張った、冬山入門にふさわしい山だった。